「方法論さえ理解すれば、誰でも成功出来る」 という理屈 [マンガマニヤック]
僕の山田ベスト10の中で10位くらいにはランキングされているくらいに大好きなヤーマダーの玲司さんが、『絶望に効くクスリ』 という、毒にも薬にもならない社会科見学漫画をヤングサンデーという雑誌で連載をしているのですが、同じ木曜日発売の週刊モーニングでは、ドラマ化もして大人気の、『ドラゴン桜』 という、「素レスで東大一直線」 な漫画が連載されております。
この二つ、作品内のメッセージも作者のスタンスも、面白いほどに正反対なのでその対比がまた面白いのですが、とりあえず『絶望に効くクスリ』 の事は置いときまして。
今週の 『週刊プレイボーイ』 で、『ドラゴン桜』 の著者、三田紀房氏のインタヴュー記事がありまして、それがまぁまた玲司たんと真反対で面白かったのです。
花沢健吾 新連載 『ボーイズ・オン・ザ・ラン』 [マンガマニヤック]
近未来、発達したバーチャルリアリティ空間での、醜男でモテナイ主人公・タクローと、人工知能Moonにより生まれた仮装人格である月子との “恋愛ドラマ” を描き 一部でえらく支持された 『ルサンチマン』 の作者、花沢健吾が 週刊ビッグコミックスピリッツ にて新連載 『ボーイズ・オン・ザ・ラン』 を開始する。
第一回の内容。
童貞会社員の主人公、一大決心をして昔懐かしテレクラで初セックスを成し遂げようと試みるが、出会うことが出来たのは “見事なブス”。しかし股間と気力を奮い立たせデートを開始。
「私みたいなブスに、お金かけたくないでしょ?」 という女の言うまま、和やかな雰囲気を維持しつつ牛丼を奢りレンタルルームへ行くが、「やはりブスの肉体に股間は戦意喪失」。
調子が悪いみたいだと謝り、別れようとしたときに出た主人公の笑顔に、テレクラ女がブチギレ。猛烈な怒りとともに追いかけられ、逃げ出す主人公。走る、走る、まさにボーイズ・オン・ザ・ランの末に出会ったのは… (以下次号)。
これがまぁ、二つの意味で結構ビックリというか、おわっと、思ったのですよ、ワタクシ。
一つは、
今回、花沢健吾という作家は、「前作、『ルサンチマン』 で出来た “強い支持層 (ファン)” を、“ある程度切り捨てようという覚悟” を持って描いているんじゃないか」
という事。
簡単に言えば、
「『ルサンチマン』 や 『電波男』(花沢健吾が表紙を描いています) の流れで、 「現実の女は外見で男を判断するから心が醜い。仮想現実に生きる俺たちはピュアで純粋だ」 みたいなトコロに自己認識を持っていったところで、今回のエピソードに、“共感している” のなら、結局お前も 「外見で女を判断している」 んじゃあないのか?」
というカウンター。
「醜い男が報われない現実」 というのを一つの前提として描いた前作だが、あくまで、“一つの前提” でしかないその部分を、作品内全てのテーマであるかに受け取られてしまった部分というのも、恐らくはあったろうし、そしてその事が作家として納得できていなかったとしたら、こういうコトをとりあえずかましたくなる、というのは。
仮に自分だったら、と考えると、分かる気がする。
特に、前作 『ルサンチマン』 に登場する長尾 (所謂 “負け犬女” ポジションのキャラ) への、読者のリアクションなんかに関しては、けっこうやきもきしていたんじゃないかなー、という想像を個人的にはしていたりする。
長尾というキャラは、主人公タクローを軸として、現実世界 <=> 仮想空間 の月子と対立する構図になるが、それをそのまま、「長尾こそが敵である」 という認識のまま最後まで読み進めてしまった読者が、ネットなどのリアクションで見る限り少なくなかった気がするが、おそらくそれは作者の本意ではなかったと思うのだ。
俺はこの作者、花沢健吾が、そんな 「愛のないメッセージ」 を送りたくて、『ルサンチマン』 を描いていたとは、あまり思えない。
作家というのは基本的にひねくれ者だし、作劇というのも基本的にいやらしい。
だから、エサで釣ってから落とす、というのは、それで話をより面白くできるというと判断されれば、当然する。
そして同時に、商売より作品のコトを強く考えている作家であれば、作品のために必要だと思ったときには、今までの支持者を殴り飛ばすことだって厭わない。
最初に出されたテーマを、そのまま文字の通りにラストまで持って行くとは、限らないものだ。
だから第一回の、「ブスに激怒されて追いかけられる恐怖」 が、男性読者の共感しやすいエサとして用意されたモノとすれば、そのままで終わるもは限らないんじゃあないかと。
いうふうに。
けっこー素で思ったのだけど、意外と今さっき掲示板で見た反応だと、そういう風に捉えた書き込みがあんま無かったんだなー。うーむ。
んで、もう一つの僕の、「うわっ」 というのは。
私的なことで恐縮であり長州であり小力なのですけれども、今回のエピソードに似た経験が、実はある。
しかも、両方の立場で。
「会うことになったは良いが、正直ブスだったので引いてしまった」 経験も、
「会おうと言われてあったは良いが、明らかに引かれてしまった」 経験も。
だから、個人的には、主人公の気まずさや何かも、テレクラ女の側の気まずさや何かも、なんとはなしにワカルキガスル。
そしてだから、僕もその経験の時は気まずかったけれども、相手も相当気まずかっただろう事も想像できるし、その気まずさを怒りにしてしまうテレクラ女の気持ちも、その気まずさから逃げたくなってしまう主人公の気持ちも、想像できる。
まぁ、僕の場合は 「ホテルDeショボーン→怒りの大追跡→新しい出会い」 的なイベントは当然無かったわけだけどもねっ!
そらそうだ。漫画じゃねぇし。
まぁーしかし、正直今これ書きながら、当時の気まずさなんかをかなり思い出してきて、けっこうじんわり凹んできていたりしますワタクシ。
一番気まずいのはさー。「俺が引いて気まずく思っている」 のを、「相手が気づいているなぁー」 と感じるところの気まずさだったりするわけですよ。
気まずさのデフレスパイラルですな。
まぁあまりにその気まずさのリフレインが予想以上に大きかったモノで、今最後に何か別の小オチを書こうと思って書き始めたのに、それが何だったかスッカリ忘れてしまいました。
何書こうとしてたのかなー。
多分思い出したところで相変わらずたいしたオチじゃないとは思うのだけど。
まー、バーチャルネットストーカーヘボロ・ミッキーは、花沢健吾先生と桜一郎烈士を応援しています! ってとこで一つ。