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『フは復讐のフ』 (原題:『V FOR VENDETTA』) [マンガマニヤック]

V フォー・ヴェンデッタ

V フォー・ヴェンデッタ

  • 作者: アラン・ムーア, デヴィット・ロイド
  • 出版社/メーカー: 小学館プロダクション
  • 発売日: 2006/04/21
  • メディア: コミック

 を、買いましてですね。
 ええ。映画化特需で、久しぶりに小プロがアメコミ翻訳をいたしたモノで。
 アラン・ムーアと言えば、アメコミ界の白土三平、等とは呼ばれておりませんが (なんなんだよっ!) 、『ウォッチメン』、『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』 (映画版は『リーグオブレジェンド』)、『フロムヘル』 など、アメコミ興味無い人でも、「あれ、聞いた事あんぞ」 ってな感じの、アメリカでは特にDCで迎えられて以来、コミックシーンに変革をもたらしたと言われていたりなんかするまぁおっさんです。
 この人の作風は、まぁ一つにとにかく緻密。んで重い。偶に、『バイオレーター』 みたいなバカでドログチャな脚本も書いたりしますけど、まぁそういうのも、「計算して書いてるなー」 って感じの人で御座います。あと、映画化されるたんびに、「こんなの俺が書いた作品じゃねー!」 って、性懲りもなく怒り出す人。らしい。

 で。
 まぁとりあえずネタバレにならない程度に原作ストーリーのあらましを書きますと。


[あらすじ]
 西暦199X年、世界は核の炎に包まれ、秋葉原にはマッドなマックスも北斗なケンシロウも現れず、世界はファシストどもに支配され、オタクは弾圧され、搾取され続けていた。
 石原新都知事による徹底した管理社会では、オタク、ニート、801好き腐女子、ガノタ、ジョジョオタ、オカマ、三国人、共産党員及び社民党院は全て収容キャンプで UFO or DIE。
 生活苦からメイド喫茶、その実チョンの間という涙の出る様な石原改革後の秋葉原風俗に身を落としたコスプレネーム・イヴィー (ドリーム小説大好き) は、“ザ・我らが偉大なる指先” こと、石原特選隊におしっこプレイを強要される大ピンチに、謎の男マスクドマンに助けられる。「てめー、客ぶちのめしたらクビになんだろ!」 「フォォー――――― !?」
 とにもかくにも、自らを “V” と名乗り、おぱんつ被ったその男は、なんだかしらんうちにあれよあれよと革命を起こそうとしているらしいのだが、とりあえずエイヴィーにドネル様の買い出しを命じられて日が暮れる。
 「VはVゾーンのV! フオオォーーー!!」 (決め台詞)



 ふぅ~。これなら何のネタバレにもならないで済むぜ!
 と言いつつ、この先はネタバレ含みます。 (えー!?)

 このストーリーの骨子を抜き出すと、“管理社会に対してのテロリズムとアナーキズムによる破壊と混乱。その後に起きる、市民による自立的再生” っつーものになるわけです。
 これはまぁ平たく言ってしまうと、アナーキズムのまさに原点を戯画化しているわけで、思想として読もうなんてしちゃえば、そりゃあ古くさい。実際、描かれたのは1982年ですしね。
 アラン・ムーアの “すごさ”っていうのは、別にそういう意味での思想性だとかテーマ性だとかではなく、そういうものを使った上で、徹底して物語世界を作り込む、半ば偏執狂じみた緻密さや演出にあるわけです。
 仮にそれが平凡なモチーフであったり、今現在において斬新とは言えない視点であっても、とにかく徹底して作り込むことで、ズシンと来る作品になるという一つの例でもある。

 んでまぁ、とりあえず 『V フオォォォォー ヴァンデッタ』 自体の話はここまで。
 面白いっスよ! という事で。
 こっから与太です。

 “管理社会” と “自由主義” の対立、という観点で描かれる作品というのはまぁけっこうあるわけです。
 たとえば最近ですと、この 『V』 の骨子と同じモチーフを、現代日本に舞台を置き換えて、分かりやすく少年漫画にした作品として、『アクメツ』 が挙げられると思うのですよ。
 架空のファシズム国家という虚構性の高い敵ではなく、現代日本を戯画化した官僚主導の談合社会ですが、それらを悪として徹底して破壊する。その後に訪れる混乱を見据えて、そして仮面のテロリスト・アクメツは退場して、残された“自立した個人” 達による社会の再生を願う、という流れ。
 こう並べると、『アクメツ』 は実際、「分かりやすい 『V』」 だったりもします。
 

 んで他に、同じよーな 「社会と個人」 という対立軸で、「個の自立」 を詠いたがる作家というと、僕の中では何よりもまずたっつぁんこと、江川達也大先生が居るのです。
 実のところ僕は、江川達也先生ことたっつぁんが大好きです。
 友達にはなりたくないですし、作品自体は別に好きでも無いですけど。
 何が好きかというとぶっちゃければ、この人の凄く歪んだ自意識が好きなんです。
 こういう書き方をすると、僕がもの凄い悪意で皮肉を言っているように受け取られると思うので、ここはバッチリしっかり言い訳をして起きますが、僕のこのたっつぁん好きは、悪意とか敵意とかではありません。
 しかし善意でも共感でもありません。
 いや、多分それぞれそれらの感情はどっかしら交ざっているとは思いますよ。
 ただ、単純な話。僕は、「どーしょも無く歪んでしまっている人」 というのが、結構好きなんです。
 いえ、別に友達には特になりたくはありませんが。
 歪んでいることを見下したりもしませんし、美化することもありませんが、とにかくそういう歪さというのは、僕にとっては興味そそられるものなわけです。
 まぁ作家なんて特に、どっか歪んでいる方が面白いんですよ。当然です。
 たっつぁんの場合、その歪みが作品ではなく本人の言動の面白さになっちゃっているという意味で、まぁ漫画家としては普通に面白くはないのですけれどもね。お利口さんの描く、お勉強した通りの漫画でそこそこ人気になった後に、本人の説教欲が暴走してどっちらけになって終わる、というのが基本パターンですし。
 まぁまぁまぁ。それはそれで別の話。

 たっつぁんの描いていたテーマというのが、まぁ昔っから (それこそデビュー連載の 『BE FREE!!』 の頃から) 、「社会、管理する側の呪縛から解き放たれた、自立した個人となる事が真の幸福である」 というヤツなわけです。
 だから、それほど明確なカタチで管理社会を描いたことはあまりありませんが (ヤンジャンで打ち切られた、金玉男Ⅱみたいなのは、うっすらとそういう感じでしたが)、この人の使うモチーフも、そういう意味では 「管理社会と自由主義の対立」 である事が多いのです。

 
 ほんで。
 これらの作品群、或いは作家達は、そういう意味で 「自立した自由な個人による社会」 への道を、作品の中で、或いは発言として提示したりしているわけです。
 ただ、同じ様に共通しているのは、
 結局其の、『自由な自立した個人による社会』 ってのが何なのか、どういうものかを、一切提示していないという点です。
 まぁ、そりゃあそうだわ。
 無えもん。そんなもん。ありもせんもん描けんわ。
 
 『アクメツ』 はそのあたりのバランス感覚はかなり良くできていて、なんだかんだでアクメツしましたよ、で終わらせて、「と、いうお話でしたが、よーは、お前等がんばれよ」  で終わらせています。「まぁ、漫画だとアクメツがアクメツしてくれちゃうけどさっ! みたいな!」 っていう、言っちゃえばズルいんですけど、そういう突き放し方で〆ちゃう。
 アラン・ムーアの方はというと、もう少しダークです。
 何せVの革命アジテーションは成功をしますが、何一つ希望のある未来なんてビジョンは描かれません。ただ暗澹たる暗闇に、道が続いていて、その中に投げ出された人間が歩いてゆくだけのラストシーン。
 全然、ハッピーエンドにする気なんか無い終わらせ方です。
 イヴィーだって、視点を変えれば、ただVに洗脳されただけの後継者でしか無いとも言えますし。
 たっつぁんはもっと無責任ですよー。そこがまたたっつぁんのスバラシイ所なんですけど。
 基本、アジるだけアジって打ち切られたり、「実は主人公は何故か分からないけれど決して年を取らないエターナルな生き物だったのです(謎」 とか、「世界文明は滅びてサバイバルな世界になったけれど、生き残った人たちは全て自立した自由な個人なのでシヤワセなのです」 みたいな感じですし。
 ま、たっつぁんの無責任ぶりはワキにのけておきまして。
 
 『自立した自由な個人による社会』 なんていうのは、理念としては古くからあるけれど、結局その実態がどういう物かっていうのは、よくわかんないんだなー、みたいな話で今ンとこちゃんちゃん、なんですね。
 『『坊ちゃん』 の時代』 (関川夏央 原作 谷口ジロー 作画) の中では、「自我という近代の生み出した病」 なんていう風に語られていたりもしますし、みんなだいすき小林よしりんあたりも、「この自立、等と言ったところで、結局人間の個人というものは歴史という縦軸に、地域という横軸の交わるところにしか存在し得ない」 みたいな事を言ってますし。
 こーゆーのってのは、アレなんかな。ポストモダーンとかあのあたりの本とか読むと、何かしらあるのかしらね。

 僕がこのあたりの話で、感覚的にピンとこないのは、そもそも僕は主義主張とか思想とかとは無関係に、単に 「なんか周りに馴染めねー」 っていう歪みが原因で、社会や地域に対しての帰属意識というものをどーにも持てないタイプの人間で、そしてそういう自分自身をけっこう昔から知っていたから、というのもあるのかもしれないとは思うのです。
 そういう自分を肯定するための社会批判、みたいな事もあんまやってこなかったしねぇ。

 まぁ、今回の与太は、単純に 『V』 を読んで面白かったというのと、『V』 と 『アクメツ』 って、基本としているストーリーの骨子が同じなんだなー、というのに気がついたというのと、あとまぁ、「僕はいつも素晴らしいテーマを漫画の中にちりばめているのに、馬鹿で愚かな読者どもは全くそれに気づかないし、理解することも出来ない」 と文句ばっか言っているたっつぁんも、まぁ基本、社会と個人の対立という観点では同じよーなテーマを使っているのに、さて何で 『V』 は面白いのにたっつぁんの場合いつもぐだぐだになるのかなー、みたいな事を。
 ぼーんやりと思ったという。
 そんな与太話。

 んで今日、雑誌の映画評立ち読みしてさ。
 映画版の 『V FOR VENDETTA』 に対して、「テーマに全く斬新さが無い」 みたいな事を言っている人が居て、 「いや、そりゃまぁ20年も昔の原作だしさー」 と思いつつ。
 その (しかもおそらくは、その描かれた80年代当時ですら)目新しさのないテーマ から、少なくとも20年はたいして変化していないんだろうなぁ、みたいな事も。
 ちょっと思ったんですけど。
 ま、そんなもんなんだろうねぇ。きっと。

 あ、そうだ。日テレで 『リーグオブレジェンド』 やってる。
 DVDで借りて見たけどっ。



リーグ・オブ・レジェンド 時空を超えた戦い アルティメット・エディション

リーグ・オブ・レジェンド 時空を超えた戦い アルティメット・エディション

  • 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
  • 発売日: 2004/03/05
  • メディア: DVD

アクメツ 1 (1)

アクメツ 1 (1)

  • 作者: 田畑 由秋
  • 出版社/メーカー: 秋田書店
  • 発売日: 2003/02/06
  • メディア: コミック


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文殊

この替え歌面白いよ。
by 文殊 (2006-09-10 11:59) 

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