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ネコゴロシ 愛護の地獄 [時事与太]

 時代を先取りニューパワーであるところのTHE僕ですが、当然今、ネットで大流行のこの話題も大チェックです。
 今日立ち読みしてきた週刊文春…だったか週刊ポストだったか、忘れたんですけど、に、書いてあったもので、「あー、なんか最近色んなところでネコがどーのとか、動物の権利がどーのとか言っていたいのって、こういう話かー」 と、概要を知ったのですが。


女流作家「子猫殺し」 ネット上で騒然
 http://www.j-cast.com/2006/08/21002622.html
>  2006年8月18日付け日経新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載された、
>直木賞作家・坂東眞砂子さんのエッセイが、ネット上を騒然とさせて
>いる。
> 「私は子猫を殺している」というのである。坂東さんの掲示板では、
>06年8月19日にエッセイのコピーが書き込まれてからコメントが突如
>急増し始め、坂東さんへの批判が怒号のごとく続いている。



 つまりまぁ、タヒチ在住の作家の坂東眞砂子というひとが、新聞に連載しているエッセイで、「自分の飼っている猫に子供が生まれるが、飼い続けることも日本のように保健所で自分の代わりに殺して貰うことも出来ないので、自分ので殺している」 という内容のことを書いた、とか、書かなかった、とか、いや、書いたそうです、と。
 んで、その事で相も変わらずワッショイワッショイお祭りだぁ~、と大騒ぎ、と。
 いうお話なんでござぁますけでどぼね。


 まぁ、前提としましてデスね。僕の。僕的な。ボクチュルビックな。
 前提としましてですが。
 正直にストレイトに言って、僕は所謂、自称愛猫家とか、自称動物愛護論者とかいう人たちの事は、まぁ信用しておりません。正確に言うと、そういう人たちの物言いを、信用していません。
 僕は、ネコゴロシが良いことだとか、正しいことだとかは言いません。
 ネコを殺したいか殺したく無いかといわれたら、全く殺したくはありません。
 件のネコゴロシ作家さんのお板東さんの論理が破綻している、という批判もありますし、その批判は僕は正しいと思います。
 が。
 僕からすれば、どっちも破綻して居るんですよ。そもそも愛玩動物を飼うって行為自体が、エゴイズムそのものなんですから。
 エッセイの内容では、お板東さんは避妊手術ではなく、敢えて子猫殺しという手段で、飼うことの出来ないネコを処分するかという事について、「避妊手術という手段は、猫が子を産む権利そのものを奪うことになるからだ」 としているらしい。(あ、一応エッセイそのものは読んでなくて、それらの紹介記事でしか知らないので、基本伝聞ですよ)避妊手術をすると言うことを猫が知れば、「勝手にそんな手術をするな!」 と抗議をするはずだろう、と。
 で、それに対して、「だったら、産んだ子供を殺すと言うことを知れば、母猫は、「私の子供を殺さないでくれ!」 と抗議するはずじゃないのか」 と、所謂愛猫家の方々が抗議をされる。
 まぁ、それはそうです。
 勝手に避妊手術をする、と言えば、まー、優生保護法なんてものが昔はありましたなぁ、と。
 遺伝病や精神疾患、障害を持っていると思われる人からは、どーせカタワかキチガイが生まれてくるだろうから、子供が生まれないようにしちゃった方が良いんじゃねぇの!? そういうのを国が決めようぜ! っていう発想のアレです。
 らい病患者へのの強制隔離とかとも、まぁワンセットになっていたわけですよ。現在は改正されて、母体保護法というモノになっとるそうですが。
 …いや、話それた。しかも自分で書いていて少し凹んだわ。
 えーと。
 まぁつまり、「You! 子供が出来ないようにするのと、出来た子供全部殺すのと、ドッチがEーでスカー!?」 みたいな事突きつけられて後者が良いって猫が言うって前提で話を進めンの変ジャン! っていう、批判ですよ。
 まぁ、その前提は変ですよ。確かに。
 けど。 
 じゃあ、前者を選ぶの? 猫は? って話ですよ。
 結論から言えば、猫はどっちも選びませんよ。
 ていうか、選ぶっていうこと自体しませんよ。
 どっちの立場も、基本的には自分の好みに合わせて、勝手に猫を擬人化して、「猫はこういうに違いないニャン♪」 というファンタジーを前提にものを言っている時点で、理論なんか破綻して居るんですよ。
 猫が、人間のようにモノを考えて、権利だとかなんだとか言い出すなんてのは、漫画の中だけの話ですよ? 良い大人が、何を言っているんですか。永遠の猫トイレを探したがるのは、チビ猫だけです! (大島弓子 著『綿の国星』 よりの引用で御座います)
 避妊手術をされても、猫はそんな事には気付きません。だから文句も言いません。
 子猫を殺されても、生んですぐ居なくなったことには気付くでしょうし、目の前で殺されれば殺されることにも気付いて、子供を守ろうとはするでしょうが、母猫の居ないところで殺されたところで、数日程探して行方が分からなければ、結局元通り、飯食って散歩して昼寝する生活ルーチンに戻るだけです。
 猫は、人間のように考えないし、人間のように時間軸に沿った記憶をもって、そこから人格に類する何かを構築することもありません。
 まぁもしかしたら何かしら、我々が現在知り得ている以上の猫的な何かがあったりする可能性はゼロでは無いでしょうけれども。
 どっちにせよ、猫に避妊手術をすることの是非も、猫の子を殺すことの是非も、どちらも、人間の身勝手な都合と、人間の身勝手な願望で、かってに猫を代弁したつもりでモノを述べているという点で、全く同じ事なワケです。
 だから僕は、自称愛猫家とか、自称動物保護論者の言うことは、信用しないのです。
 本当に、猫や、動物たちの都合を優先するべきだと言うなら、飼うなんて言う身勝手なことはそもそもするべきじゃない。
 野生のままにして、手を出さないのが一番良い。
 猫も犬も、野良にしておけば良い。
 動物を飼う、飼育すると言うことは、既にその時点で、人間が身勝手に動物を利用しているだけに過ぎない。
 食料としてでも。労働力としてでも。乳牛だとか羊毛の採取用としてでも。愛玩用としてでも。
 全部、こっちの都合で分類して、こっちの都合で殺したり生かしたりしているだけじゃないですか。
 猫や犬をかわいがるのもこっちの都合。数が増えて邪魔になったからと、保健所で殺すのもこっちの都合。数を増やさないよう避妊手術をするのもこっちの都合。牛や豚を食うのもこっちの都合。鯨は頭が良いから殺すのは野蛮だと言い出すのもこっちの都合。蚊や蠅や蟻や蜂やゴキブリを、薬で殺しまくるのもこっちの都合。新しい薬の実験としてねずみをいじくり回して殺すのもこっちの都合。目が見えなかったり体が不自由だったりする人の生活の利便性を向上するために、犬や猿を調教するのもこっちの都合。街中で野生動物見たいからと言って、檻の中で飼育するのもこっちの都合。猛獣を殺す感覚を楽しみたいからといって、大金持ちがライフルをもって、薬でへろへろに弱らせたライオンを撃ち殺すことをスポーツと言い張るのも、こっちの都合。
 そういう、身勝手な人間の都合で、好き勝手に殺したり生かしたり、食べたりかわいがったりしているという事実を無視して、或いは目をつぶって、さも自分は動物を愛する善良な人間でござるござるよハットリ君は愉快な味方~忍者でごっざっ てなのをあまり書くとJASRAナントカに怒られちゃうかなー、この辺でやめておこーっと、といけしゃあしゃあと抜かす輩は、どーだろうねっ! 実際さ! みたいな!
 
 動物に権利なんかないんですよ。
 ある、なんて言うヤツは、嘘つきです。
 動物に権利を認めるなら、飼うな、食うな、殺すな、ですよ。
 僕は焼肉も食いますし、焼き魚も食いますし、犬を見て和みもしますし、蚊が飛んでいたら叩き殺しもします。
 全部、僕の勝手でやることです。
 動物に権利がないから出来ることです。
 権利なんて概念は、人間が勝手に作った、これまた人間の都合によるモノでしか無いですからね。
 動物にあるのは、というか、我々人間が、動物に対して与えられるのは、動物と関わり合う文化的背景だけです。
 ペットにしてかわいがるという文化、食肉として食う文化、害虫として殺す文化。利用する、排除するというそれぞれの文化。
 猫や犬をかわいがる文化もあれば、食う文化もあります。
 牛や豚を食う文化もあれば、神性視したり不浄と見なして食わない文化もあります。
 お板東さんのそれは、文化的背景と呼べるほど確立されたモノではないでしょう。どちらかというと、個人の信条からくる行為。
 最初に書きましたが、僕は多分、殺さないでしょう。
 なぜならば、殺すのは後味が悪いからです。
 猫の都合じゃありません。僕の都合です。
 僕は幸いにも、今までに犬や猫を直接手にかけて殺すという機会は無いまま生活を続けています。
 おかげさまで、後味の悪い思いをせずに済んでいます。
 けれども、何故それを味あわずに済んでいるのかと言えば。
 他の人間に、後味の悪いことを押しつけているからです。
 つまり、保健所で働いている人たちに。
 野良犬や野良猫を捕まえて、何十匹何十頭もの犬や猫が二酸化炭素中毒で白目をむいて口から泡を吐き、苦痛にのたうって死ぬ様を見届けて、その後焼却処分するといういやーな役割を、彼らに押しつけている。
 少なくとも、日本の社会では、もう既に猫や犬や、或いは猿や烏や鹿が、人間の管理の外側で生きてゆくことは出来ないカタチで成り立っているわけです。
 そんな土地の余裕もないし、生活圏を重ねたまま、放置して害を被るのはまっぴらゴメンだ、という文化が成立しているわけです。
 在来種ですらそうなのに、ブラックバスイだのカミツキガメだの大ネズミだの、外来種を連れてきちゃあ野生化されてどんどんカオスになっているわけですから。
 次から次へと、管理して駆除して、管理して駆除して、を繰り返さなきゃ、どーにも上手くいかないというものになっているわけですよ。人間の社会自体が。
 そんな日本に生まれて、日本で生活して。
 動物愛護論者を気取ったところで。
 僕や、自称愛猫家、愛犬家と名乗る人たちが。
 犬や猫を殺さずに済んでいるのは。
 ただただ、他人にその嫌なことを押しつけているからに過ぎない。
 お板東さんは、それが信条として嫌だから、自分で殺している。
 保健所に押しつけて、或いは獣医に金払って殺させれば、自分は動物を傷つけることなど無い、慈愛に溢れた善良でスバラシイ人間だという自己満足には浸れるでしょう。
 お板東さんは、自分が、他人に嫌なことを押しつけているだけに過ぎない事に無自覚になるのが嫌なんですよ。多分ね。このあたり僕の勝手な想像。
 そして、そういう、ただ他人に殺す役を押しつけているだけだという現実に無自覚な人達が、声高に 「子猫を殺すなんて異常者だ! キチガイだ! 殺せー! かみ殺せーっ!」 と叫ぶであろう事が分かっていたから、エッセイに書いたんでしょう。
 まぁ、そういうお話ですよ。

 
 それは別として、なんか新宿に犬鍋料理のある中華料理店あるらしいですね。
 今度機会があったら食いに行こうかな、みたいな話してたり、してなかったり、してます。



[今日の豆路知識]
 タヒチでは、マグロは赤身しか一般的には食されないのでぃす。
 日本人の有り難がるトロなんてのは、脂が多くて食えたもんじゃねぃ、って事で、猫の餌にされているんだそうでぃす。
 タヒチの猫は、トロがたくさん食べられて、シヤワセだにゃ~。


綿の国星 (第1巻)

綿の国星 (第1巻)

  • 作者: 大島 弓子
  • 出版社/メーカー: 白泉社
  • 発売日: 1994/06
  • メディア: 文庫

     文庫ではなく、花とゆめコミックスで持っていますよぅ。
死国

死国

  • 作者: 坂東 真砂子
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1996/08
  • メディア: 文庫

 読んだことねぃでぃす。

クロ號 1 (1)

クロ號 1 (1)

  • 作者: 杉作
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: コミック

 最後はホハハホフでヒフハウんですよ。っつってて、実は最後の方しか読んでなかったりして。


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コメント 4

ジョー・N

 子猫を殺すことを紙上に載せることを厭わない感覚もどうかしちゃってると思います。否認で事たれりというのも安易すぎると言えばそうなのかもしれませんね。動物に対するバースコントロールってのは結局人間のエゴによるものだという認識がないと、この問題はどこまで行っても折り合いがつかないままおわってしまうんでしょう。

 バースコントロールで言えば、日本では猿や鹿が増えたら増えたで余計者扱いされ、絶滅種はマスコミが保護を訴えている。マスコミは実に自分勝手に世の中を演出しますよね。
 動物を殺して食べて生きていくリアル感がないのが問題なんだと思います。小学校とかでニワトリとか飼育して、その上で自分で屠殺させる教育した方が命を大事にすると思うんですよね。
 バースコントロールに関しての哲学というか、生命に対する思想を考えなきゃいけない時代になってきたのかもしれません
by ジョー・N (2006-09-05 17:33) 

へぼや

 まぁ、「子猫殺しを誌面で告白すること」 のリスクは、「叩かれる」って事だけですからね。
 それさえクリアしちゃえば、別に本人にとって問題では無いでしょうし、全ての人間が、「人から怒りや不満をぶつけられることを回避すべき」 とも僕は思いませんぬ。
 他人が不快に思うことを表現したり表明したりすること、それ自体を否定するっていう考え方は、あまりにも民主的な全体主義っぽくて僕は好きじゃあないです。

 鹿とか猿とか、基本的に日本の野生動物って、既にバランスが崩れた状況なんですよね。何せ、捕食動物が居ない。ニホンオオカミがとっくに絶滅しているから、鹿や猿は人間が殺して調整しない限り増える一方。
 結局、日本というせまーいせまーい国土の中に人間ばかり異常に増えた今、大型の野生動物が自然な状態で住まわせておくことは出来なくなっている。日本に生まれて、育ち、住み続けるというのは、そういう環境、現実に居るという事だと思います。
 まさに、命を大切に、とか、殺すのは可哀想、とか、そういう事とはもう別次元の話として、「数を調整する為だけに殺さないと、共存できない」 って現実があるという事を、教えるよーな教育しとくべきなんだろうなぁ、みたいな話ですよな。

 しかし今、ふと思ったんですが、この作家さんが 「子猫を殺して食べてます って言ったら、どうだったんだろうな。
 なんだかんだ行って、もっとヒステリックな反響があっただろなー。
 そうなると、動物愛護ってのも一つの宗教なんだろうな。
 猫や鯨はご神体で、それらを傷つけるのは断固として赦さないという。
by へぼや (2006-09-06 18:40) 

petrosmiki

でもって、猫殺し云々のナイーブな世論はともかく
「犬鍋食いに行こうツアー」どーしようかね?
ちなみにあの店、猫も食えたりするのかしらん?
by petrosmiki (2006-09-08 16:02) 

shitty

所詮傍観者でこれだけ上から目線ってのもすごいね。
by shitty (2008-04-27 04:57) 

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