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僕的トレンドワード目白押し [余談・雑談]

 まぁ僕もいっぱしのビッグマン、すなわち大人ですから、仕事場に着いた頭から、「いやー、ここの選挙区って丸川珠代でるンすねー」 と、政治ネタをふりますよ。
 挙げ句の果てに、「しかし政治に関心がない(3年間無投票)のに、政治的野心だけはあるって人はよくわかりませんなぁ~」 などと政治批判もバッチリですよ。
 ビッグマンですから。大人ですから、オヤジですから! バブゥ。おっぱいほしいでちゅ。

 ただ、たまたま選挙ポスターの左上にあったマルタマちゃんに気がいってしまったため、この選挙区の本当のすごさに気がつかなかったのは大失態です。
 ていうかすごいね、あそこは。
 だってそのマルタマちゃんからそのまま視線を右へついーっとやると、まずはナカター・ドクマツことなんちゃってFD開発者ドクター・中松ですよ。そして真ん中あたりに目を落とすとTHE・神こと、又吉イエスですよ。んで、その下あたりに目をやれば、なんとひっそりと龍平会会長であらせられる川田龍平さんが鎮座ましておられるじゃないですか。
 濃いっ! ケイン・コスギ!
 一つの選挙区がこんなにも濃すぎて良いんですか。キャラ濃度的に一票の格差がありすぎます。いいんですか。そうですか。はい、すいません。

 ところで以前僕は、「ブサイクがブサイクであることを覆い隠そうとして、結果サブカル方面のおしゃれに走ること」 をさして、「ブサカル」 という、実にすばらしいトレンドワードを提唱したことがありますが、今回頭の中で冒頭の、「ビッグマンですから! 大人ですから! オヤジですから!」 の下りを醸造しているときに、また新しいトレンドワードが浮かびました。
 「ちょいワレオヤジ」です。
 これは、「ちょっとエロ動画でも落としてみたいなー、げへー」 という色気をだして、「ちょいとワレものに手を出そう」 とウィニってみたりしたところ、見事にキャンタマ感染をして、「重要書類や個人情報を流出させてしまう」 オヤジのことを言い表す言葉です。
 トッレ~ンド!

 
【本日のトレンドワードまとめ 】
 「政治に無関心なのに、政治的野心だけはある」
 「マルタマちゃん」
 「ビッグマン」
 「又吉Yeeeeeeees! (Doop)」
 「なんちゃってFD開発者」
 「ブサカル」
 「ちょいワレオヤジ」
 「パンツ!蠱!お尻」
 


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共通テーマ:日記・雑感

 「ワカラナイ人」 は、驚くほどに 「ワカラナイ」 [余談・雑談]


 こんにゃ! へぼぴんだよ! 誰だてめぇ!

 年末の話でしたか、年始の話でしたか、その辺曖昧なんですが、毎年テリ朝で深夜に、『視聴率バトル』 っつー番組やっとるとですよ。
 芸能人に時間を決めた枠をとって、おのおのの企画をやらせる。それを放映して、一番視聴率をとった人が優勝。んで、優勝すると1時間分まるまる冠番組を作らせてもらえる。みたいな企画です。
 それで、この間深夜遅くに、第一回目の優勝者、ガレッジセールが最初に作った1時間枠の特番を再放送していたのですよ。

 最初に、ガレッジセールのゴリがブラックバックのスタジオにインタビュー形式で出てきて独白、「せっかくたくさんの予算で1時間、好きなにつくって良いという機会をいただけると言うことで、僕の夢だった映画作りを、相方の川田を主演にしてやってみたいと思います」 と。
 その調子で、最初の数分は一見、本当にゴリたちが役者さんを集めて映画作りに真剣に取り組んでいるかのような取材映像とインタビューが続きます。
 その流れの中、突然主演女優の抗議の声。
 「こんなのおかしいよ!」 という声にあわてふためくスタッフに、取材班。現場に駆けつけたカメラから聞こえる抗議の内容は、「なんでこんな公園の真ん中で、(川田のキスシーンをのぞき見しながら)全身にローションを塗りたくらなきゃいけないの!?」
 緊迫した空気。説得するスタッフ。インタビューで差し込まれる出演者の声。その中ゴリが重い口を開き下した決断は。
 「…分かりました。メシにしましょう」
 突然、全員で焼き肉屋へと行き、ガツガツと貪り食らいながら議論を交わし、何故かすべてのもめ事が丸く収まる。
 ・・・ま。
 つまり、この1時間枠は、『映画撮影のドキュメンタリーという設定のコント』 だったワケです。
 この後も、この調子で 「監督のゴリが意味不明な演出を申し出たりすることで現場にもめ事が起きる」 → 「突然メシを食いに行き、何故か解決」 のパターンが繰り返されます。挙げ句、メシどころかおっぱいパブでおっぱいに挟まれながらの演劇論をする始末。で、一番最後に、「それでは、ゴリ初監督作品をご覧下さい」 で流される映像が、「全員が飯を食っているシーンを編集した映像」 というオチ。

 まぁ、その番組をご覧になった方もいらっしゃるでしょうし、ご覧になっていない方もおられるでしょう。
 そしてご覧になっていない方と、この番組を作ったガレッジセール及びスタッフの方に申し訳ないのは、こうやった箇条書きに仕掛けを書き出すとすごくおもしろさが伝わらないと言うところです。ええ、ええ。そこは申し訳ない。
 それは置いておきましてですね。捨てちゃってですね。
 これ、僕は最初の時も見ましたし、今回再放送されたときも又見まして、実に馬鹿馬鹿しくてくだらなく、面白かったのですが。
 今回の再放送時には、テレビ番組の与太実況する掲示板ちょっと見てましてね。
 他の人はどんなリアクションしてるかにゃー、みたいにちらっと。ちらちらっと。パンチラっと。見まして。
 最初のもめ事…主演女優に、真昼の公園でローションを全身に塗りたくってくれと言うバカ演出で揉めだして、「分かりましたメシにしましょう」 で丸く収まってしまうそのシーンを越してもまだ。
 「コントだということがワカラナイ人がいた」
 というのが僕は正直ビックリしたのですよ。

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アクセル入れっぱなし.NET [余談・雑談]


 新年早々ですが、まぁなんかPCが (しょーもない理由で) 壊れていた間に脳内にたまっていたどーでも良い事をだらっと書いておこーかなーと思いつつ、相変わらず特にどーって事もないですし、タイミング逃している分さらにどーでも良い感じになっていたりするわけです。
 新年の話っつうても、スクーターでカマ掘ってしまったり、池袋でうんこもらしてしまったりと、実にどうでも良い平々凡々な新年でありますよ。
 まぁどちらも、スクーターのブレーキ入れるのが遅れたと言うことと、アナルのブレーキが甘かったのと、という意味で似たような話です。
 ・・・いえいえいえ、無理なんかない、無理なんか無い。実に自然な比喩ですってば。

 PC使えなかった頃に一人セコセコ仕事していて、とはいえこう、気を紛らわすのがなかなか出来ない。ネットつなげたりゲームやったり出来れば気分転換にもなりますが、そういうのが無くてどーにも煮詰まりやすいなー、というときに、まぁ昔のモノやら事柄やらの思い出探しとかをしていたわけです。
 結構頻繁にやるんですが。
 で。

 空気読めない人の思い出関連グッズがこう出てきましてね。

 僕は当時、PBM系のゲームサークルにいまして (PBMが何か分からん、という人は、そこはさして重要でもないのでシカッチングしてOKです)、その中にまぁ実に空気ヨメナイ人がおったのです。
 一言で言えば、
 「悪意があるわけではないけれど、人を苛立たせたり、ギョっとさせるような言動をしてしまう人」
 です。
 ナウなヤング風に言えば 「痛い人」 ですなっ!
 有名なコピペネタの一つに、「敬礼! 敬礼!」 とか電車の中で大声で言うオタク、みたいなのがありますが、まぁそういう方向です。
 そういう方向よりいささかより気まずいのは、その上で、本人的にはかなり周りに気を遣っているつもりというところです。
 本人なりに気を遣っているのも分かるし、同時に気遣いをする自分をアピールしているのも見えて、挙げ句その気遣いの方向が間違いまくっているという辺りが、よけい 「気まずい」 。
 ま、こっちもこっち、露骨に 「あんた空気読めてねーなー」 と突っ込むのも何だし、かと言ってそのままだとビミョーにストレスは貯まるし。
 もっと言ってしまえば、それを指摘して関係を良くしようと思うほどに親しいわけでもないし、親しくしたいわけでもない。けれども、その人へのいらだちを全開にして場を壊したくもない。
 よくある、と言えば、よくある話。

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ペトロ三木について勝手なことを抜かすよ [余談・雑談]


 お前達の首をチョン切ってー 眺めてぬかすよー! (by.ダンプ松本)

 何を言っているのかさっぱりわかんねぇな、俺。

 いやまぁ、例のジェネジャン最終回近辺のウカレポンチッチなイベントの時期によく、「宇梶は理想ばかり言うが、ペトロは現実的だ」 的な、ペトロ評が結構ありましたが。
 それはチョット違うなぁ、と僕は思っていたのですが。
 成り行きでとくにその事について書く機会がなかったので。
 ちょっと書いておく的な記事。

 まぁ。
 発端は件の学歴論争でして。
 (今見たら3月かー)
 「学歴なんか必要ない、人間力だ!」 とする宇梶や、「夢を信じる力だよ!」 なふかわに対して、「現代日本に置いて、学歴というツールが大きなウェイトを占めている以上、学歴を不必要だと切り捨てることは出来ない」 というスタンスを取っていたペトロ三木。
 (という構図で良かったと思うのですが、生憎本編をちゃんと見ていなかったので違ったかも!)
 まぁこれに関して、「負け犬の癖に学歴至上主義とは片腹痛いわ」 (胃痛持ち) 「ペトロキモワロス」 (言語障害) 「学歴が無い人を馬鹿にするなです!」 (ルサンチマン) 等の否定派意見が続出。(ゾクゾクするほどに・・・!)
 お陰様でペトログは大流行だったわけですが。
 まぁその中で、「宇梶やふかわは理想論ばかりで、現実を見ていない」 というペトロ肯定意見もあったりなかったりしたわけです。(あったのかなかったのかどっちだ)
 
 でもねぇ。
 別の視点ですが。
 逆ですよ。それは。と。
 
 うかわ、じゃねぇ、宇梶やふかわの方が現実的です。
 そしてたぶん、ペトロ三木の方が理想主義者です。
 と思ったのですよ。チェキ。

 以前も書きましたが。
 芸能人がテレビでああいう、「とってつけたキレイゴト的発言」 をする理由は、人気商売の客商売だからですよ。
 キャバクラでキャバ嬢が、「金が欲しいからきたねーおっさんと話ししているだけだわよ」 なんて、わざわざ言わないのと同じですいやすみません僕キャバクラとか行ったこと無いので良く知りません、キャバクラ嬢の方を侮蔑する意図はないので御了承下さい。
 それを言うのは野暮ってもんですよ、と。まぁこんな事を言っている僕が野暮って事なんですけど。
 それに加えて、彼らは実質、学歴というツールを必要としていないのですから。
 むしろ学歴というツールが無用になった方が望ましい立場なワケです。
 人間力、ですよ。人間力がよりモノを言う方が、うかわさん達にとっては “都合の良い世界” なんですよ。
 人間力ってなんだよ、みたいな突っ込みも結構ありましたが。
 まー僕に言わせれば、人間力 = コネ力 ですよ。
 コネクションを手に入れて、それを巧く活用する能力ですよ。
 アントニオ猪狩的に言えば、たまたまバキのかーちゃん似の愛人を囲っているかどうかですよ。
 言ってしまえば、「不合理で公正さのない基準」 です。
 そしてうかわ達は、そういう 「不合理で公正さのない基準」 の方が、現実で幅を利かせていることを知っていて、そういうものの上に今の位置がある人達でもあるわけです。
 だから、彼らの発言の方が、自分たちの利益に即していて、かつ現実的で、ユメもチボーもありゃしないのですよ。ん、そうか?
 
 人間力とか、夢を信じる思いこみの力だとか言う得体の知れないモノに比べたら、学歴っていうモノサシは凄く公正です。はるかに。
 試験があって、それに受かれば良いんですから。
 まぁ近頃では、「ケン玉が凄く巧いと入学」 とか、「アイドルなので宣伝になるから入学 (そしていつの間にかやめていた・・・)」 とか、言うほど公正でもねぇなぁっつうのもありますし、収入格差がそのまま学歴格差に繋がる二極化が進みつつあるなんて言われてたりしますが、それでもまぁまだマシです。
 誰か有力者のコネだとか関係なく、ビシっと一本の基準で作られているモノサシです。
 レイプ大好きなサークルバカでも、モテないブサイクキモオタ童貞野郎でも、分け隔てなく機会が与えられているのです。
 コネや媚びやら人間力やら夢を信じる力やら、得体の知れない不公正なモノの入る隙間なんぞ無いのです。(そんなには)
 そういうモノをきちんと有用なモノサシだとしておこうというのは、機会の平等という価値観に置いて実に理想的なスタンスでしょう。
 だから。
 うかわ達に比べて、ペトロ三木は遙かに、理想主義的で、公正なのです。

 それに付け加えれば、ですよ。
 ペトロ三木の職業は、プロフィールによればライターであり放送作家なんですよ。
 学歴なんか、クソの役にも立ちませんよ。
 (いや、それは言い過ぎですけど)
 というかまぁ、むしろコネだか人間力だかいうモノの方が、遙かに有用なんですよ、彼の立場においては。
 彼にとっては、うかわたちと同じスタンスでいた方が、有利なんですよ。
 東大卒の人間が、「学歴なんか意味がないよ。夢を信じて、人間力を養えば良いんだよ」 とか言って媚び売ってコネ作ってやってった方が、得するんですよ。現実的には。
 (いや、そういう活動も頑張ってやってんのかもしれませんけどそんな事まではしらん)
 そういう立場でも、敢えて “公正な基準の意義” を掲げるというのは、やっぱ理想主義的なスタンスですよ。ビックリしちゃいます。
 だってそんなコトしても別に得しないんですもの。(多分)
 
 まぁ僕なんかは機会の平等なんかより結果の平等だけが欲しいビンボ人で無学なダメダメの負け人間なんで、うかわとかサクセスっている人間はみんなすぃねとか言っているルサンチマンマンな立場でもあるわけですから、そんな事ぁー言いませんよ。金持ちはみんなすぃねですよ。高額所得者の税率をガンガン上げるべき派ですから、芸能人なんか80%くらいもってかれろっていうイズムですよ。80ェってのは今思いつきで言ったので何の根拠も無い数字ですけどもね、ええ。
 
 そんなワケで、僕のペトロストーキンブログ的な結論としては、「ペトロ三木は正義感の強い理想主義者」 とします。
 そしてこれを読んだらペトロ三木が結構微妙~な気持ちになって困りますように。
 誉められているんだか担がれて居るんだか、なんだかよくわかんないキモチな。
 ネットでこういうことあると結構困るアレ。
 


インシャアラー (アッラーの思し召しのままに) [余談・雑談]

 
 よく考えたら、なんですが、僕はキリスト教よりイスラム教についての方が詳しかったので、イスラムについて少し書いてみます。
 というか、イスラム教にしろキリスト教にしろ、成り立ちを知るっていうのは結構重要。
 成り立ちを知ると、つまるとこ先に述べたったりした、「宗教の方便としての意味」 が、凄く分かり易くなるからです。
 
 まぁざっくりいきます。

 イスラム教の開祖は、モハメド・アリと同じ名前の、ムハンマド(アラブ読みに近い発音)でございます。英語読みだとマホメット。
 7世紀前半に成立しております。

 彼は商人でした。
 しかも40代とかになって、突然宗教に目覚めた。
 遅咲きですわね。

 当時のアラビア半島はと言いますと、北でビザンチン帝国が東アジアとヨーロッパの交易路を塞ぐカタチで成立し、何かと不穏な情勢でした。
 そのため、交易路は南に迂回してアラビア半島へと移り、それまでは過酷な砂漠で、部族単位の遊牧生活をしていたアラビア人達が、次第に商業化された都市に集まって交易商として生活をするようになり始めます。
 まぁ、そういう文化的、文明的な過渡期にあったわけです。

 商業が盛んになると言うのは、富が集まり、人が集まり、発展すると同時に、貧富の差が生まれ、多くの人間が集まって揉め事を起こしやすくなり、さらには集まった富を外的にも狙われやすくなる。
 しかし部族単位での争いが絶えないアラブ社会のままでは、それらの問題に対処するのが難しい。
 より大きな社会には、より大きな “方便” が必要になる。
 そこで、イスラム教が生まれたわけです。
 
 ぶっちゃけて言いますと、イスラム教はキリスト教のアラブ社会向けバージョンです。
 まぁ勿論キリスト教もユダヤ教の焼き直しですから、そういう意味ではアラブ的ないいとこどりでもあります。

 大きな特徴としてあげられるのは、まず、「血の復讐の禁止」 です。
 当時のアラブ部族社会では、部族の誰かが傷つけられたり殺されたりしたら、相手部族に 「血の復讐」 をする、という考え方が一般的でした。
 よーは、「やられたらやり返せ」 って事ですね。
 これは過酷な砂漠を遊牧生活しているときには、「過ちには当然の報いが下される」 というシステムによって、事前にそこに至らぬようにする抑止力としての方便として成り立っていました。
 ただ、都市化が進む中でこれはまずい。
 都市に多くの部族の出身者が集まり出したときに、やたらと復讐ばかりが横行することになる。
 簡単に言えば、人口密度が低いときには揉め事自体が少ないため、この抑止力は有用だったのですが、人口密度が上がった都市部では、逆に秩序を乱すようになったわけです。
 
 40代で一念発起してイスラム教の教祖となったムハンマドは、「わしこないだ洞窟で、唯一神アッラーの使いガブリールから預言もらったけんね」 と言ってこれらの教えを広めようとします。
 しかしメッカでは有力大商人達から異端として迫害され、結局メディナまで逃亡するハメに。
 そのメディナでは逆に、血の復讐と部族間の揉め事の多さに、有力者達が困っておりました。
 そこにやってきた男おいどんことムハンマドの教えは、「うっそマジそれヤベー、すげー良い教えじゃん。つうかおれらマジそれ困ってたンだよねー。ちょー採用って感じ?」 ってな具合に受け入れられ、信者を増やし、勢力を拡大してゆきます。

 つまり、都市化によって起こった新たな問題に対しての、新しい解決策を提示していった、という事です。

 又他にも、「喜捨」や、「寡婦の保護」 等が、イスラムの教えの特徴としてあげられます。

 喜捨、っていうのは、簡単に言えば、「金持ちは貧乏人に施しをするべきやけんね。そうすっと、死んだ後にアッラーの天国に連れてってもらえるけんね。おいどんウソつかんばい」 っつー事です。
 遊牧生活から、商業主体の生活に映ると、必ず貧富の差が拡大するわけです。
 その貧富の差、そこから生まれる格差などをこの方便により是正し、社会を円滑にさせる事が出来る。
 また同時にこれは、過酷な砂漠という環境にいたアラブ社会の伝統とも相容れる考えで、やはり広く受け入れられました。
 金を得た者にとっては、金を得ることによって生まれる不安を減らし、貧しい物には生活の助けとなる。

 寡婦の保護、というのは、部族間の争いなどが絶えず、環境も過酷なアラブ社会では多く存在した未亡人を、「金持っているヤツは、そういう女の人を4人までめとって助けてやるばいね」 っつー事です。
 よく、イスラムの一夫多妻制というのが話題になる際、実情を良く知らぬ人達が、「4人も奥さん貰えるなんてハーレムやね」 的に言いますが、アラブ社会で結婚という物は実に厳しい物です。
 アラブでは日本で言う結納金というものに当たるものが、べらぼうに高い。
 結婚するときに、女の人の仮定に対して相当な金額を払わなければならない。
 これは 「売買婚」 等という言い方もされるシステムで、ままウーマンでリブな方から、「女性を物として扱う男根主義的云々」 と批判されたりもしますが、まー、金のないヤツのとこに嫁いでも愛があればなんてノンキな事言えるほどに豊かな社会ではありませんから、仕方のないことなのです。
 寧ろ、貧乏な男は生涯童貞、という意味で、男にとって厳しい。
 僕なんかもうアラブ社会で無くて良かった、ってなモンです。
 (いや現状もあんま変わらないかー…)
 何れにせよ、イスラムにおける一夫多妻は、女性の生活を助ける、というのが根底にある発想なのです。
 
 まぁ他にも、偶像崇拝の禁止、占いの禁止など、色々な教えがありましたが、それらは遊牧中心の部族社会から、商業を主体とした都市社会へと発展する過程に置いて、有用な方便として機能される教えだったと言えます。

 メディナに逃れたムハンマドは、信者を増やして勢力を拡大し、軍勢を率いてメッカへと凱旋をします。
 メッカの支配者となったムハンマドとその跡を継いだカリフ達は、その後アラブ社会全土へと勢力を拡大し、初のイスラム王朝、ウマイヤ朝を成立させます。
 まーこのウマイヤ朝が、ムハンマドの死後に、ムハンマドの従兄のアリーと権力争いをして勝ち上がったムアーウィアとその子孫による世襲支配というあたりが、なかなか皮肉な話です。

 ムハンマドの素晴らしい点は、合理主義と平等主義の徹底にあります。
 商人だった彼は、教義という “約束” の中に、実に巧みに、当時の社会情勢の不安や格差を解消する方便を盛り込んでいます。
 喜捨、寡婦の保護、等に見られる弱者救済の視点も良い。
 理想と現実の折り合いの付け所が、巧かった。
 そういう意味では、ムハンマドは政治家としての素養の強い人物だったのではないかとも言えます。
 カリフ、つまり教主に関しても、世襲を禁止し、必ず合議で選出する、という考えだったのですが、まぁこれはウマイヤ家によってソッコー破られました。
 そのあたりが、現在も言われるスンニ派とシーア派の対立に繋がってゆきます。
 

 ちょいとまとまり無く、ざっくりとイスラム教のあらましを書きましたが。
 このあたりのお話は、「宗教というのは、そもそも政治的なものである」 という事が、実に分かり易い。
 イスラム教の成立自体が、社会の変遷に合わせた政治的なものですし、同時にウマイヤ朝成立のように、権力の独占を考える人間によって宗教が政治的に利用されるという事もよく分かる。
 それと、所謂原理主義の問題点というのが、教えの意義や背景にある思想を無視してしまうところにあるということも。

 んま、とりあえずそんな余談。
 あとイスラム教成立のエピソードは、アリーとかキャラ立っていて面白いのでお奨めです。


芸能人が主体の討論番組の討論もどきにたいした意味はない [余談・雑談]

 やぁおいら銭ゲバ!
 銭ゲバっていうのはジョージ秋山先生の作った言葉で、ゲバ=ゲバルト棒、なんだ!
 明日から使える豆知識!!

 さて、当ブログは基本的にペトロ三木ストーキングを中心として設立されたファンド (株式の貸し出し含む) なのですが、ペトロ三木の活動として矢張り一番有名なのは水着少女、又は 『ジェネジャン』 です。
 というワケで、『ジェネジャン』 のお話。

 ジェネジャンに関する簡単な説明をすると、「年齢無制限で芸能人が中心になった真剣10代しゃべり場」 です。それ以上でもそれ以下でもない。
 けど。
 タレントが中心というのは、真剣10代しゃべり場とは本質的なコンセプトが別であるということを如実に現している部分なんだにょ!
 何がか、というと、真剣10代しゃべり場に登場する子供達は、別に商売で出ているわけではないけど、タレントは商売でテレビに出ているというアタリマエの事。
 商売の中の手段にテレビメディアも含まれる、では無く、殆どのタレントはテレビに出ること自体が商売といっても良いでしょう。というか言い切っておきます。イエー。
 だから。
 基本的にタレント達は、討論だろうと何だろうと、自分の中の商品価値を下げる発言はあまりしない。
 当たり前です。
 商売ですから。
 番組側も、彼らの商品価値が下がりうる編集はしないし、下がりうる構成もしない。
 だってそんなコトしたら、プロダクションから嫌われちゃうものエンターテイメン!
 まぁ勿論、非難をあびる優事件のよーに、「制作側、タレント本人、プロダクション共に、空気を読み違えて」 やべー発言してしまったよー的イベントもたまーにあります。
 ありますけど、まぁ狙ってンな事はしやしません。
 人気商売ってのは、何れにせよ支持層である大衆を敵に回したらやってけないって事は、彼らも十分に承知しています。プロですもの当たり前です。
 だからイメージには物凄く気を使う。気を使っていてもたまに失敗する。まぁそういう事です。しらん。
 毒舌で売っている人は、タレントイメージを守るために毒舌を吐き続けなきゃならないし、天然で売っている人はタレントイメージを守り続けるため名天然発言をし続けなきゃならない。

 だから 『ジェネジャン』 という番組に置いても当然、そういうタレントイメージコントロールの為のスケープゴートを用意する必要があるワケです。
 仮にちょっとやりすぎて、イメージ破壊の限界を突破しかねない展開になっても、そいつを嫌われ役にしておけば最低限タレントイメージを守れるだろうと言う保険のために。
 そこで番組サイドは、例えば呼び出す素人を、「パっと見凄く嫌悪感を与えるキャラの人」 にしたりして、とりあえずそいつらを叩いておけばOK、という構成にする。
 勿論素人だけじゃあ心許ないときもありますから、その為のキャストも用意しておく。
 それが、ペトロ三木です。

 番組サイドにとって、彼は実に良いキャストであったワケです。
 ビジュアルイメージも決してよくはない。なんとなく変人臭い。東大卒、という肩書きが、学歴コンプレックスを持つ層の憎しみを駆り立てる。
 さらに何より、彼は非情に「理屈っぽい」。
 一般視聴者の嫌悪感をかき立て、タレントイメージを落とさず、タレントを引き立たせるのに、なんともちょうど良いキャラクターをしている。

 だから放送される番組では、たいてい中立のフリをした堂本光一の周りを、女受けの良い女性タイレントが一人二人、とりあえず芸人枠のふかわ、そしてアンチペトロ役筆頭の宇梶が取り囲んで、がっちりとスクラムを組んでペトロを叩く、という構図になる。
 
 と。
 ここまでは前置きです。
 別に僕は、だからタレントはどーの、というタレント批判をしたいワケではありません。
 彼ら商売ですから。
 イメージの良いことを言うに決まっているし、むしろイメージの悪くなることを言うとしたら、タレントとして間違っている。非難もあびる優ですよ。
 だから彼らは、商売の都合として物凄く理に適ったことをしているだけなんです。
 自分のタレントイメージにプラスになる発言をしようという。
 そもそも、キャラクターイメージを守るために、言動をコントロールしようなんていうのは、日常誰でもやっている事です。
 ただ単に、タレントはそれが商売に直結していると言うだけでしかない。
 自分のタレントイメージを守るために当たり障りのない感情論を吐きもするし、ペトロを攻撃した方が有利だと思えば攻撃します。
 彼らは学者でも論客でもない。ただのタレントです。
 大衆に好かれようと嫌われようと、自説持論を発言すことに意義や意味を持っている人達ではない。
 だから。
 敢えて一番間違っているのはどこの誰かと言えば、強いて挙げて、「そういう構図の番組の討論ごっこを、そのまま討論だという思い違いをしたまま見ている視聴者」
 という事になる。
 タレント主体の討論ごっこ番組から何かを拾い上げようとしたら、そういう事を加味した上で見てかなきゃなんない。

 ま、それだって別に、ジャーニィエンタテインメントの一環でしかないのですから、かまやしないのです。

 だからまぁとりあえず。
 彼らタレントが討論風番組で言っている言葉そのものに、たいした意味なんか無い。
 
 んで。
 そうなるとじゃあ、「何でペトロはそんな番組に出ているンだ?」
 っつー話になってくるのですが。
 はい、こっからがペトロストーキングブログしとしての本論。
 そこがペトロのイカスところなのですよ。
 イヤッホウ!
 
 ぶっちゃけて言えば今僕が上に書いたことなんかは、当然ペトロ三木は十分承知しています。
 というか、ンな事一々言うなボケ、みたいな事です。
 一番間違っているのは誰か、ってさっき言ったのですが、それは僕です! ミー!
 こんな事を一々書いている僕が間違っています!
 でも僕は別に番組のイメージとかタレントのイメージとかペトロ三木のイメージとかどーでも良いという無責任な立場だからモウマンタイ!
 番組的に、タレントを引き立たせる役割を振られていることを、十二分に承知した上で、敢えて出ている。そして敢えてその流れに乗っている。そして乗った上で、自分のやっていこうとしている事にプラスになる様に利用しようとしている。
 そこがイカス。

 彼は、あくまで討論番組の論客というスタイルを崩さない。
 少なくとも、「討論というのは、意見と意見、主張と主張をぶつけるモノである」 という大前提を、キチンと守り通している。
 勿論タレントは、そんなコトしません。
 でも彼はします。
 所謂ディベートと討論、議論っていうのは、そういうところが違う。
 ディベートは、意見と意見、主張と主張だけではなく、弁舌自体、戦略自体をぶつけるという事がメインになる。
 相手によって言い方を変えたり、いかにして聴衆を味方にするかという部分も、重要な要素となる。
 宇梶的な言い方をすれば、人間力とかね。
 たいていの人間は、発言そのものより、発言者を見て判断しようとする。
 発言者に対する好悪や、発言者の持つ背景。
 そこを加味した上で、発言の仕方や話しの持っていきかたを操るというのも、テクニックとして存在する。
 けどペトロはそれをしない。
 そういう事が出来ない、とペトロを批判する人もいる。
 多分、僕個人の考えとしても、ペトロ三木という人は、そういういわば腹芸的なことは苦手なのだろうと思う。
 けど苦手であると同時に、敢えてそれをし無いという部分もあるだろう。
 あくまで、“テクニック” では無く、“イメージ” でも無く、“意見、主張” のみであの番組に出る。
 それがペトロ三木のスタイルなのだろう。

 そこが僕は好きです。
 意見の内容の賛否よりまず先に、そういうスタイルがね。

 そのスタイルを貫くことで、番組側が求めている、「タレントのイメージを損なうことなく討論っぽい雰囲気を醸し出す都合の良い敵役」 という依頼をこなしつつ、同時に、「結局何かしらの意見を言うことが出来ないタレントという立場の人間が、討論もどき番組にいる事の滑稽さ」 という、裏の図式をあの番組の中で露わにしている。
 ペトロ三木は、そういう二重構造を番組の中で表現した。
 
 多分それは、ペトロ三木がやりたいと思ったことの、一つの成果であり、同時に手段でもあるのだろう。

 
 ・・・と、いうよーな事を取りあえず書いてみたけど、とりあえずわしゃもう眠くなってきたのでひとまずおしまい。
 眠くなったけど多分寝れないのよ。オーホホー。

 電脳世界のバーチャルどぶネズミ、ヘボロ・ミッキーはそんなペトロ三木を応援しつつ見守り続けたく存じ上げます。
 敬具。
 


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