読むと! 元気がなくなる! 少年サン [マンガマニヤック]
読むと! 元気がなくなる! 少年サンデー!
ああもう今人気爆発ゴローな話題の、雷句誠訴訟の話ですが、ええ。
基本的あらましは、以下の雷句誠ご本人のブログから。
勿論、読むと、元気がなくなります!
(株)小学館を提訴。
http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html
まぁこの内容をつらっと読んで、「雷句もけっこうたいがいなアレなんちゃうのん?」 という意見もあるだろうし、そこは否定しない。
というか敢えて言うけど、漫画家なんてどっかしらたいがいなアレで良いのですよ。イーンダヨ! たいがいなアレでなきゃ、漫画なんか描けるか!
とかまぁそういう、「アーティストとは…」 みたいなゲージツ論を取っ払って、至極単純な話としてですが。
漫画家は個人事業主ですから。
たいがいな部分を、全部個人で責任もって引き受ける立場だからです。
ちょっとばかしアレなところがあったとしても、その結果、そのたいがいなアレっぷりと、その作家個人の仕事の価値とを天秤にかけて、依頼をするなり干すなりされるだけの話であって、例えば僕らの大好き江川太先生なんかは、商品価値が目減りしている時期にどんどんアレな部分を肥大させた結果、実質ホリプロ所属文化人枠タレント業、もしくはタモリクラブでシモネタを行ってはゲヘヘゲヘヘ笑う仕事担当して、細々と活動を続けているわけですし。
それが職人気質、芸術家器質的な意味でのたいがいなアレだろうと、単純に社会不適合的なアレであっても、そのアレである事のリスクを全部自分一人でひっかぶって生きているわけです。
会社と作家は、取引という時点で本来的に対等でなければならないけれども、大会社の庇護の下にいる大手雑誌社の編集者と、あくまで一個人として向き合っている個人事業主の作家とでは、その時点で対等ではなくなっているわけです。
その上で。
その、立場の違い、在り方の違いをふまえた上で。
どちらが上だか下だとかではなく、お互いがお互いに、仕事のパートナーとして尊重し合い、お互いに 「ありがとう」 と言える関係、思える関係。
どんな業種どんな業界だろうと、それが一番ベストなのは、本来言うまでもない事なのですが。
まぁ世の中そういう事は希だったりするわけです。
んで、それじゃあそういう、露骨に大企業の庇護というカサの下でデタラメ放題やっている様な人を相手にせざるを得ないとしたら、それはもうそいつが被っている大企業の庇護をぶっ剥がさなきゃあどーしょもない。
大企業に守られている人間が、大企業の庇護もとぬくぬくとたいがいなアレでいる事と、個人事業主でハナから自分の旗振って世間の矢面に立ってアレであることは、全然意味が違うのですから。
雷句ブログで書かれている大企業様の大編集者様のアノ・ザマは、例えば正社員という立場にあぐらをかいて、技能職として派遣されている人間をバカにしているのと同レベルの、実に程度の低い人間性そのものにしか見えない。
ああいうのは実際どんな現場だろうと、仕事の品質を落とす以外何の結果ももたらさないものなワケです。
どれくらい事実の相違があったとしても、ここまで関係を悪化させてどこにも得なんか無いのは子供でも分かる “ハズ” じゃあねぃですか。
仮に編集者の立場からして、雷句誠の非が大きかったとしても、それをある程度は治めて、少なくとも作品、仕事の質を向上、維持することは、プロフェッショナルならば、自分の仕事に責任を持っているのならば、すべきことなハズです。
んで、本当に雷句誠の人格に問題があって、今回の定義の内容に関しても雷句側の日野法が大きいのであれば、その人格的なだめっぷりと雷句誠の描く漫画の商品価値とを天秤にかけて、振り切った後に徹底的に干してやりゃあいいだけの話なんです。太先生みたいに!
連載中に関係を悪化させる必要はどこにもない。
どこにもないし、むしろ客観的に見れば、明らかに失策にしか思えない。
失策にしか思えないことを何故延々続けている、居たのか?
そういうときはたいてい、「それが失策だと気づいていない」 か、「外部からは分からない理由があるか」 のどちらか、あるいはどちらとも、だったりします。
なーんだろねっ!
ばかなんじゃないの!?
いやいやいや。
そしてそういう事を当たり前にやっているということは、つまりは作家だけではなくその作家の作品を楽しみにしている読者、それらに対価を払って買っている消費者をも完全に馬鹿にしているわけです。
「自分がどんなに適当な仕事をして、作家のテンションを下げて、作品の質が下がったとしても、どうせ馬鹿な読者は買ってくし、人気が無くなりゃ使い潰して次の企画 (『デスノート』 催眠版とか) を当てりゃあ済む話だし、どっちにせよ大企業様に守られている俺の将来には何の損失もないんだよ」 と。
まさにリアル明治。(by. 『編集王』)
まぁ、その辺りが 「外部から分からない理由」 の推察なんですが、よーは 「担当作品が売れれば編集者の手柄、コケれば作家の責任」 という、会社内部での評価の図式。
よく言われることですが、個人事業主である漫画家は、連載がコケたり描いている雑誌が無くなれば、その時点でモロに無職なわけですよ。次の、他の仕事を勝ち取るまで、自分で仕事をとってくるまで、貯金で食いつなぐか日雇いのアシスタントでもするしかない。
けど、編集者は違います。会社に勤めていて、給料が出ている限り、おまんまの食い上げにゃあならない。
「作品の質が落ちて、打ち切りになること」 によって生じるリスクが全然違う。
まして。
ここから一応大事。
まして、再販制度で保護されて、なおかつ雑誌一冊二冊が命運を握っている様な小さな出版社や編プロじゃあない、大企業の看板雑誌ですよ。
そうそう簡単につぶれることはなく、そうそう簡単に雑誌がつぶれることもない。
(小学館の看板雑誌である 『少年サンデー』 がつぶれるときは、言い替えれば小学館の漫画部門自体がつぶれるときみたいなもんですわよね)
つまりそれは、「会社の内部、或いはポリス沙汰的な意味で大きな失態でも犯さない限り、何をやってても自分は安泰」 という事です。
作家なんかごく一部の大御所を除けば、掃いて捨てるほど居る以上、「適当に数撃てばどれかは当たるだろう」 し、「当たれば自分の手柄になるし、コケれば打ち切って次をやれば済む話」 で、「どちらにしろ、自分は年収ン千万の高給取りのまま安泰でいられる」。
まー、こんな環境でマトモに仕事と向き合う方がむしろレアでしょう、そりゃあ。
よく、「サラリーしか貰っていない編集者と違って、ヒットしたときのリターン (印税や、メディアミックスなどの使用料など) が違うのだから、漫画家の方が得をしている。編集者の方が損だ」 という主張をする人が居ますが、ぶちまけてそんな大ヒットを出している作家なんかホンのごく一部、それこそン千人、ン万人に一人とかの話でしかない。
そんなのは、「タイガーウッズと比べて編集者は損している」 みたいな理屈です。
本当に、「作家」 と 「編集者」 で、そんなにも作家が得をしているというなら、さっさと大企業を辞めて作家になられれば良い。
大企業に就職するのは自分の意志だけではニャンとも出来ませんが、辞めて作家業を始めるのは簡単です。お笑い芸人と作家は、名乗ればその時点で成立します。勿論、仕事が得られるかどうかは分かりませんが、「不公平なほど作家は得している」 のなら、編集者よりは楽なはずです。
横合いから見てれば、そんなの理屈がおかしいのは明白でも、内に内にこもっていると、意外と分からなくなる。
特にこういう、高学歴が多く集まり、とにかくやたら安定していてリスクはほとんど無く、その上である場面において強い権限を持つ閉鎖的な職場では、そういうケースは多い。
ほら。アレ。
よく言われる、官庁省庁のアレな体質とか。
似ているジャーン?
みたいな。
高学歴が集まって、ポリス沙汰やよほどの個人による失敗でも無ければリスクは無くて、その上ある場面では権限が凄く強い。
そーんな職場。
そしてさらに付け加えると、僕がこの流れで思い出すのは 『es』 という映画。
実際にあった心理実験を元にして描かれた映画で、この話の中ではとある閉鎖的空間の中で、無作為に分けられた二グループが、片方は 「看守役」 として、片方は 「囚人役」 として、一種のロールプレイを行う。
その経過で怒る心理的な変化変異を記録しようというこの実験で、両者は次第にいがみ合い、また急激に暴力的になってゆき…。
という筋書きですが、つまるとここの映画では、「人は役割を与えられると、次第にその役割に合わせた振る舞いをするようになる」 という事ともう一つ、「自ら勝ち得た権限ではなく、より大きな存在により与えられた権限は暴走する」 という二つが大きな点だと思うのです、が。
作家と協力することではなく、作家を一方的に罵倒して 「漫画を描かせること」 が自分の役割なんだと勘違いをして、その上で大企業というより大きな信仰対象から作家の殺生与奪の権限を与えられて居るという構造。
サンデー編集部云々だとか、ってレベルではなく、会社自体、それを包括する業界全体のそういう空気、体質をどうにかしない限り、多分熱このところが変わる事は内ンじゃねぃですかね。
所謂公務員改革が絶対的に進まないのと同様に。
なんて事を、書いて、みましたが。
僕ぁそんな他人事にどーこー言っている暇などねぃのでぃす。
せいぜい、全然関係ねぃところで自分のアレを何してどーにかこうにかしとるべき場合なのです。
読むと、元気がなくなるね!
あと、『蟹缶フレーク』 で有名な新條まゆたんが、もの凄く頭の良さそうな文章を書いていたのが、すげぃお気に入り。
ああもう今人気爆発ゴローな話題の、雷句誠訴訟の話ですが、ええ。
基本的あらましは、以下の雷句誠ご本人のブログから。
勿論、読むと、元気がなくなります!
(株)小学館を提訴。
http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html
まぁこの内容をつらっと読んで、「雷句もけっこうたいがいなアレなんちゃうのん?」 という意見もあるだろうし、そこは否定しない。
というか敢えて言うけど、漫画家なんてどっかしらたいがいなアレで良いのですよ。イーンダヨ! たいがいなアレでなきゃ、漫画なんか描けるか!
とかまぁそういう、「アーティストとは…」 みたいなゲージツ論を取っ払って、至極単純な話としてですが。
漫画家は個人事業主ですから。
たいがいな部分を、全部個人で責任もって引き受ける立場だからです。
ちょっとばかしアレなところがあったとしても、その結果、そのたいがいなアレっぷりと、その作家個人の仕事の価値とを天秤にかけて、依頼をするなり干すなりされるだけの話であって、例えば僕らの大好き江川太先生なんかは、商品価値が目減りしている時期にどんどんアレな部分を肥大させた結果、実質ホリプロ所属文化人枠タレント業、もしくはタモリクラブでシモネタを行ってはゲヘヘゲヘヘ笑う仕事担当して、細々と活動を続けているわけですし。
それが職人気質、芸術家器質的な意味でのたいがいなアレだろうと、単純に社会不適合的なアレであっても、そのアレである事のリスクを全部自分一人でひっかぶって生きているわけです。
会社と作家は、取引という時点で本来的に対等でなければならないけれども、大会社の庇護の下にいる大手雑誌社の編集者と、あくまで一個人として向き合っている個人事業主の作家とでは、その時点で対等ではなくなっているわけです。
その上で。
その、立場の違い、在り方の違いをふまえた上で。
どちらが上だか下だとかではなく、お互いがお互いに、仕事のパートナーとして尊重し合い、お互いに 「ありがとう」 と言える関係、思える関係。
どんな業種どんな業界だろうと、それが一番ベストなのは、本来言うまでもない事なのですが。
まぁ世の中そういう事は希だったりするわけです。
んで、それじゃあそういう、露骨に大企業の庇護というカサの下でデタラメ放題やっている様な人を相手にせざるを得ないとしたら、それはもうそいつが被っている大企業の庇護をぶっ剥がさなきゃあどーしょもない。
大企業に守られている人間が、大企業の庇護もとぬくぬくとたいがいなアレでいる事と、個人事業主でハナから自分の旗振って世間の矢面に立ってアレであることは、全然意味が違うのですから。
雷句ブログで書かれている大企業様の大編集者様のアノ・ザマは、例えば正社員という立場にあぐらをかいて、技能職として派遣されている人間をバカにしているのと同レベルの、実に程度の低い人間性そのものにしか見えない。
ああいうのは実際どんな現場だろうと、仕事の品質を落とす以外何の結果ももたらさないものなワケです。
どれくらい事実の相違があったとしても、ここまで関係を悪化させてどこにも得なんか無いのは子供でも分かる “ハズ” じゃあねぃですか。
仮に編集者の立場からして、雷句誠の非が大きかったとしても、それをある程度は治めて、少なくとも作品、仕事の質を向上、維持することは、プロフェッショナルならば、自分の仕事に責任を持っているのならば、すべきことなハズです。
んで、本当に雷句誠の人格に問題があって、今回の定義の内容に関しても雷句側の日野法が大きいのであれば、その人格的なだめっぷりと雷句誠の描く漫画の商品価値とを天秤にかけて、振り切った後に徹底的に干してやりゃあいいだけの話なんです。太先生みたいに!
連載中に関係を悪化させる必要はどこにもない。
どこにもないし、むしろ客観的に見れば、明らかに失策にしか思えない。
失策にしか思えないことを何故延々続けている、居たのか?
そういうときはたいてい、「それが失策だと気づいていない」 か、「外部からは分からない理由があるか」 のどちらか、あるいはどちらとも、だったりします。
なーんだろねっ!
ばかなんじゃないの!?
いやいやいや。
そしてそういう事を当たり前にやっているということは、つまりは作家だけではなくその作家の作品を楽しみにしている読者、それらに対価を払って買っている消費者をも完全に馬鹿にしているわけです。
「自分がどんなに適当な仕事をして、作家のテンションを下げて、作品の質が下がったとしても、どうせ馬鹿な読者は買ってくし、人気が無くなりゃ使い潰して次の企画 (『デスノート』 催眠版とか) を当てりゃあ済む話だし、どっちにせよ大企業様に守られている俺の将来には何の損失もないんだよ」 と。
まさにリアル明治。(by. 『編集王』)
まぁ、その辺りが 「外部から分からない理由」 の推察なんですが、よーは 「担当作品が売れれば編集者の手柄、コケれば作家の責任」 という、会社内部での評価の図式。
よく言われることですが、個人事業主である漫画家は、連載がコケたり描いている雑誌が無くなれば、その時点でモロに無職なわけですよ。次の、他の仕事を勝ち取るまで、自分で仕事をとってくるまで、貯金で食いつなぐか日雇いのアシスタントでもするしかない。
けど、編集者は違います。会社に勤めていて、給料が出ている限り、おまんまの食い上げにゃあならない。
「作品の質が落ちて、打ち切りになること」 によって生じるリスクが全然違う。
まして。
ここから一応大事。
まして、再販制度で保護されて、なおかつ雑誌一冊二冊が命運を握っている様な小さな出版社や編プロじゃあない、大企業の看板雑誌ですよ。
そうそう簡単につぶれることはなく、そうそう簡単に雑誌がつぶれることもない。
(小学館の看板雑誌である 『少年サンデー』 がつぶれるときは、言い替えれば小学館の漫画部門自体がつぶれるときみたいなもんですわよね)
つまりそれは、「会社の内部、或いはポリス沙汰的な意味で大きな失態でも犯さない限り、何をやってても自分は安泰」 という事です。
作家なんかごく一部の大御所を除けば、掃いて捨てるほど居る以上、「適当に数撃てばどれかは当たるだろう」 し、「当たれば自分の手柄になるし、コケれば打ち切って次をやれば済む話」 で、「どちらにしろ、自分は年収ン千万の高給取りのまま安泰でいられる」。
まー、こんな環境でマトモに仕事と向き合う方がむしろレアでしょう、そりゃあ。
よく、「サラリーしか貰っていない編集者と違って、ヒットしたときのリターン (印税や、メディアミックスなどの使用料など) が違うのだから、漫画家の方が得をしている。編集者の方が損だ」 という主張をする人が居ますが、ぶちまけてそんな大ヒットを出している作家なんかホンのごく一部、それこそン千人、ン万人に一人とかの話でしかない。
そんなのは、「タイガーウッズと比べて編集者は損している」 みたいな理屈です。
本当に、「作家」 と 「編集者」 で、そんなにも作家が得をしているというなら、さっさと大企業を辞めて作家になられれば良い。
大企業に就職するのは自分の意志だけではニャンとも出来ませんが、辞めて作家業を始めるのは簡単です。お笑い芸人と作家は、名乗ればその時点で成立します。勿論、仕事が得られるかどうかは分かりませんが、「不公平なほど作家は得している」 のなら、編集者よりは楽なはずです。
横合いから見てれば、そんなの理屈がおかしいのは明白でも、内に内にこもっていると、意外と分からなくなる。
特にこういう、高学歴が多く集まり、とにかくやたら安定していてリスクはほとんど無く、その上である場面において強い権限を持つ閉鎖的な職場では、そういうケースは多い。
ほら。アレ。
よく言われる、官庁省庁のアレな体質とか。
似ているジャーン?
みたいな。
高学歴が集まって、ポリス沙汰やよほどの個人による失敗でも無ければリスクは無くて、その上ある場面では権限が凄く強い。
そーんな職場。
そしてさらに付け加えると、僕がこの流れで思い出すのは 『es』 という映画。
実際にあった心理実験を元にして描かれた映画で、この話の中ではとある閉鎖的空間の中で、無作為に分けられた二グループが、片方は 「看守役」 として、片方は 「囚人役」 として、一種のロールプレイを行う。
その経過で怒る心理的な変化変異を記録しようというこの実験で、両者は次第にいがみ合い、また急激に暴力的になってゆき…。
という筋書きですが、つまるとここの映画では、「人は役割を与えられると、次第にその役割に合わせた振る舞いをするようになる」 という事ともう一つ、「自ら勝ち得た権限ではなく、より大きな存在により与えられた権限は暴走する」 という二つが大きな点だと思うのです、が。
作家と協力することではなく、作家を一方的に罵倒して 「漫画を描かせること」 が自分の役割なんだと勘違いをして、その上で大企業というより大きな信仰対象から作家の殺生与奪の権限を与えられて居るという構造。
サンデー編集部云々だとか、ってレベルではなく、会社自体、それを包括する業界全体のそういう空気、体質をどうにかしない限り、多分熱このところが変わる事は内ンじゃねぃですかね。
所謂公務員改革が絶対的に進まないのと同様に。
なんて事を、書いて、みましたが。
僕ぁそんな他人事にどーこー言っている暇などねぃのでぃす。
せいぜい、全然関係ねぃところで自分のアレを何してどーにかこうにかしとるべき場合なのです。
読むと、元気がなくなるね!
あと、『蟹缶フレーク』 で有名な新條まゆたんが、もの凄く頭の良さそうな文章を書いていたのが、すげぃお気に入り。
2008-06-11 02:01
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