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『ボーイズ・オン・ザ・ラン』 の続き。 [マンガマニヤック]

 続き、って何だ。

 以前のエントリーで、新連載のときの感想を書いた、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』についてなのですが。
 実は特にそんなに書くことも無かったりします。(えー!?)

ボーイズ・オン・ザ・ラン 3 (3)

ボーイズ・オン・ザ・ラン 3 (3)

  • 作者: 花沢 健吾
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2006/06/30
  • メディア: コミック

 
 『ボーイズ・オン・ザ・ラン』 という漫画は、まー近頃流行りの “ちょいダメ”人間であるところの主人公、タニシ君が、弱小ガチャガチャ会社の後輩であるところのちはるに惚れたり惚れなかったり (惚れます)、ライバルの大手ガチャガチャメーカー、マンモスの若手さわやか営業マン青山君とじゃれたりじゃれなかったり (殴られます)、テレクラで知り合ったおデブなおブスさんに追いかけられたり追いかけたり (ヤクザにボコられます)、という、さわやかハートフル青春サラリーマン漫画です。
 若干の嘘が混じってますが。

  サラリーマンのわりに全然仕事してる場面が無かったり、ちょいダメなダメぶりが、漫画的に愛されるダメぶりとは些か言い難いところがあったり、あと会社上げて社員同士のマジ喧嘩煽っていたりな感じで進展しているこのお話なのですが。
 面白いなー、と、思ったのは。
 まー、これがかなり、読者の反応が分かれる漫画なのですよ。



 勿論、漫画に限らず作品という物は、受け手が受け取った時点で完成する物ですから、受け手により反応が千差万別、評価も千差万別なのはアタリマエの事です。
 ある人にとっての傑作が、ある人にとっては駄作であることは往々にしてあり、その場合の個人の中にある “完成品” は、おそらくは全く別の物だったりするわけです。
 つまり、作品を受け手がどう解釈するかで、そこに描かれる物はまるで別物になるわけです。

 と。
 いうよーな、展開が。
 多分今の 『ボーイズ・オン・ザ・ラン』 の。
 展開なんだなー、と。
 そういう気がしたりしたのでござるね。ニンニン。
 
 漫画というのは本来、徹底した客観描写に適した表現メディアです。
 所謂神の目線戦というヤツです。
 俯瞰して、そこにあるものをそこにあるものとして描き、あらゆるところで起きていることを全て読者に伝える。
 主人公が見ている物と同時に、主人公を見ている物が描かれる。
 だからまぁ、読者は主人公の知らないことを知り、主人公がとる行動にやきもきしたりするわけです。
 「志村、後ろ、後ろー!」 という具合に。
 観客は、舞台の上にいる志村の後ろにお化けが迫っていることを知っているけれど、志村はそれを知らない。 そこが一つの面白味になるわけです。
 ところがこの漫画、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』 では。
 そういう描写がほとんど無い。
 主人公がいる場所での、主人公の見た事実は描かれます。
 主人公が見ていない場面でも、主人公の知り得ている、或いは想像しうる程度の事柄も描かれます。
 主人公が見ていないけれど、一つの場面として交差しうる事も描かれます。
 しかし、例えば、主人公が好きな相手が頭の中で考えている事や、主人公が絶対に知り得ない他のキャラクターのやりとりなどは。
 ほぼ全て、省かれているのです。
 つまり、読者の持っている情報量と、主人公タニシの持っている情報量は、ほぼ同じであり。
 しかもそれらは全て、日常我々が経験しているのと同じく、「自分が見たこと、聞いたこと、それらを “解釈した” こと」 なわけです。
 会社ぐるみで個人の喧嘩をセッティングしたり、ヤクザにボコられているときに実に都合良く闘う美少女が現れてくれたりと、漫画的なご都合主義描写は確かにあります。ありますが。
 「自分の “知っている” 世界などは、全て自分の脳内で作られた物でしかなく、他人の “考えていること” など、決して知る術など無い」 という点において。
 この漫画の表現方法は、リアルなわけです。
 だから、よけいに、読者は混乱し、各々が各々の脳内に、“様々な解釈” を描き出す事になるわけです。
 登場当時のちはるが、まー実に見事なまでに妹的人なつっこさと愛らしさを体現していたのに、中盤からタニシと疎遠になったかと思いきや、実はさわやか好青年青山君にかなりの調教を施されてからストーカー呼ばわりでヤリ捨てられたりした流れを、「恋愛に疎い女性にあり得る出来事の一つ」 と解釈するか、「さんざんタニシに気を持たせたりと周りを無自覚に振り回す売女の本性」 と解釈するか、「鬼畜青山の手練手管に陥れられた被害者」 と解釈するか。
 全てに全く明確な回答 (神の目線による真実の開陳) を現さず、全てが読者の判断にまかされているのです。
 少なくとも、現在の連載での展開では。
 この描き方は、ある意味で主人公タニシ目線による一人称小説の様でもあります。
 そのようでもありながら、カメラは客観描写のままです。
 主人公タニシの内面、思考感情を独白で描き出す描写も、そうはありません。
 つまり、タニシ解釈を 「真実 (仮)」 として読み進む様にも作られているわけではないのです。
 自分が見ていないことは決して知り得ず、他人の考えは決して分からない。
 だから、物語序盤と現在で、青山やちはるという、仮定悪役、仮定ヒロインとして出ているキャラクターの描かれ方、雰囲気がまるで違うというのも、そう読むとアタリマエの事なのです。
 THE・ダメ童貞である主人公タニシにとって、知り合った頃のちはるはまさに、「天使のような純真無垢な女性」であり、出会った頃の青山は、「ハンサムできさくで、かといってそれを鼻にかけずに自分の弱いところも見せてくれる好青年」 であったわけです。彼らもタニシの前ではそう映るような振る舞いをしていたし、タニシはタニシで、彼らのそういうところしか見ておらず、そしてそういう解釈しかしていなかった。
 もっと言えば、身勝手な願望の投影そのものだったとも言えるわけです。
 それ自体は。
 もちろんだからと言って、それが 「間違っていた」 かどうかも、断言は出来ません。
 どっちにせよ、どういう解釈にしろ。
 結局は、勝手な解釈以外の何物でもないのですから。

 勿論読者には、唯一タニシの知り得ない情報が提供されています。
 神である、作者のプロフィール、或いは言葉です。
 前作、『ルサンチマン』 の内容からの解釈というのも出来ますし、或いはインタビュー等の記事からの類推で、描かれている事柄を解釈することも出来ます。
 ま、だからってそれが 「真実の回答」 に直で繋がるかってぇーと、まー、そうじゃあねぇでがしょー。
 というか、ま、こっから先は、一読者として漫画を読む上ではあンまし関係ねぃ事ですが。
 例えばインタビュー記事で、作者、花沢健吾はちはるというキャラクターについて、次のように述べていたりします。


>花沢:なんでだろう。なんでだろうなあ……。
>可愛さ余って憎さ百倍というか、最近この手の
>タイプの女性がすごく嫌いなんですよ。以前は
>すごく好きだったんですけど……。それでです
>ねえ、そういう女をやっつけたいと。


 というわけで、これを受けて 「ちはるはビッチだよ派」 の人なんかはこうテンションあげちゃったりするんですけど。
 とりあえず、インタビューで本当のネタばらしをする作家は、あンま居ない、というのを別としても。
 この言葉通りに、本当にちはるをただ酷い目に遭わせるって展開では。
 それ、作家のやることではないンですよ。
 それは、作品ではなく、意思表示であったり、メッセージであったり、まー或いは愚痴や恨み節ではあるかもしれないのですが、いずれにせよそれでは、チラシの裏の独り言にしかならないのです。
 そういうのに読む方が共感する、ってのはそれはそれでありますけどね。
 けれどもこういう、この場合本当にただこの言葉通りに 「やっつける」モノを描いても、それは作家・花沢健吾 ではなく、私人・花沢健吾の、個人的な感情を、そのまま紙の上に写しただけのモノにしかならないわけです。
 作品というモノの土台に、私的な感情や主張や考え方や世界観、人生観は現れるのは確かでしょうけれども。
 それはあくまで土台の一部であって、それをそのまま “作品” と言って持ってくるのは、やはり作家の仕事ではないわけです。
 これは単純に、技術とか作劇論とかそういう意味だけのことではないのですよ。
 私人として何をどう考え、感じているかとは別のトコロに、作品というモノに向き合う、作家しての別の意識、或いはそれは、私人としての自分では御しきれない何かが、居るはずなのです。
 そしてそれを持っている人、自分の内に抱えている人が、作家になる。
 
 だからまぁ、僕としてはこの言葉の額面通りに、「漫画の中でムカツク女をやっつけてやった! ざまぁみろ!」 ってな展開には、(それを期待している読者が居たとしても) ま、ならんでしょう、と。
 そう思ってはいるんですよ。
 

 それはそれとして別にしまして。
 この、徹底したタニシ目線による物語描写、というのは。
 まぁまず意図的にやっている事だろうと。そう思います。
 意図せずにこうなっていたら、それはそれですげぃのですけどもね。ええ。
 正直これは、リスキーな手法ですよ。実際。
 だってねぇ。たいていの人は、早く答えを確定しておきたいですから。
 なんだかよくわからないもやもやは現実世界で十分で、その現実世界ですら、たいていの人はたいして知りもしない他人のことを、容易く簡単に、あーだこうだと切り分けて、身勝手に願望を投影して愛したり、気軽に蔑んだり憎しみをぶつけたり。
 そうやって、楽をしようとしているわけですから。
 わからないものと、わからないまま向き合うのは、しんどいですから。
 分かりやすい答えを、自分の中で作るわけです。
 女の人を憎みたい人は、簡単に 「女は汚い」と言いますし、男の人を憎みたい人は、「男なんて所詮…」 と言い放つモンです。
 
 ただ、そういうめーんどくさいものを意図的に取り入れているというのは、この場合あくまで手法のお話。
 まだ物語は序盤も序盤、とっかかりの入り口の手始めのエピソードが進み始めたばかりです。
 コミックス3巻ほどは出ていますけど。
 まだ入り口かっ!
 多分、予想ですけど。
 ここまで一人称目線の描写にしている以上、今のとっかかりエピソードが区切り着いた時点で、それまで語られなかった誰かの心情や内面を、誰かの口から語られるとかくらいの描写ではない神目線な 「真実の開陳」 は、おそらくはされないだろうなー、とは思います。
 いや、するかもしんないですけどね。もしかしたら。
 ただ、この手法は、単純に入り口のエピソードで軽く引っ張って〆でどんでん返しとかをする為だけに続けるには、けっこう大きいことなので。
 それが結果としてどう評価されるかは、まだ分からないところ。
 それこそ、“脳内解釈の 『ボーイズ・オン・ザ・ラン』 世界の真実” を作り込んでしまった読者には、結果としてかなり否定される可能性は大きいわけです。
 そんなわけですので。
 電脳世界のバーチャルなんとかかんとかは、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』と花沢健吾先生を、なんとなく応援し続けます♪
 今更ちゆ何才ネタだよっ!!



「ちゆ」AV

「ちゆ」AV

  • 出版社/メーカー: TMA WORKS
  • 発売日: 2003/02/28
  • メディア: DVD

 試しに検索したらリンクがあったので貼ってみた。しかしそのまんまなタイトルやね。


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