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世の中は桃と林檎とドクダミ荘で出来ている らしいぞ (ジャー) [ペトログ・ストーキン]


 何が僕は言いたいかというと、とにかく金曜ゴールデンタイムのエフテレは下衆にもほどがあるということと、“下衆” すら一発変換できないこのAtokの言葉狩りっぷりはどういう事かと言うことですよ! 後ろのヤツは今思ったことです。
 いやもう、まず7時が、芸能人の苦労話とやらを延々垂れ流して無理矢理感動に仕立てようってな手前味噌番組でしょう。その次が霊感詐欺師の太鼓持ちですよ?
 芸能人の苦労話なんて、杉田かおるくらいすっとんきょうならネタにもなりますが、神田うのって、なんだそりゃ。
 霊感詐欺師に至っては、あーたもうね。何をどう言い繕おうと、「先祖の供養」だ「ヘビがどーの」だ言って、他人を脅迫して不安に陥れ、その上で、「救済してやるから」 なンて持ちかけるのは、ただの霊感詐欺以外の何モノでもありゃしません。そりゃあカルト宗教が弁護士を殺すのに協力もするってなもんですわなっ! いやそれTBSの方。

 で。

今週の「バカは死ね」/衆院選に見る「東大卒」の実態 
http://blog.so-net.ne.jp/petrosmiki/2005-08-19


 世の中は、桃と林檎とドクダミ荘で出来て居るんですよ。
 うっそ、始めて知った!
 言い換えると、「庶民」と「エリート」と「異端」です。
 全然繋がらねぇ。
 
 ま、庶民っちゅのは庶民です。ふつーに。
 社会の枠組みの中程にいる人たちで、日々の生活を生きる人たちです。
 エリートっちゅのは、日本語にすると選良、選民、等となりますか。社会の枠の中の上の方に役割を持っている人たちですわな。
 この二つの軸を縦軸とすると、「公」 と「私」 という上下軸になります。
 んで、異端っちゅのは社会の枠のはずれの方に居る人たちです。
 これを横軸にすると、社会システムにおいての、「マス」から「マイノリティ」という軸になるわけです。
 まぁこのあたり、異端だから村のはずれに行くのか、村のはずれにいるから異端なのか、なかなかビミョーなとこですが。

 で。
 これは例えば、古代中国で言うと ─── 因みに参考資料は当然、『蒼天航路』ですよ! ─── 縦軸のモノサシには、「儒」というものがあるわけです。
 儒教というのはまぁ孔子の考えた思想ですが、その背景、えー、支える価値基盤には、天、という概念がありますから、この軸の頂点は当然、「天」 であり、「天子」、つまり皇帝です。
 んでまぁ、多分横軸の極端にいるのは老荘思想になるんでしょう。世捨て人であり仙人ですな。
 ヨーロッパで言えば当然頂点にいるのはキリスト教の唯一神であり、その代弁者はバチカンで、王侯貴族もバチカンに認められて始めてその縦軸の上の方にいることが出来る。
 日本だと一応天皇でしょうか。まぁ江戸時代の徳川幕藩体制というのはそのあたり微妙なシステムでしたが、士農工商というのが縦軸の一つのモノサシ。
 
 イワユルトコロノ、近代と前近代とを分ける一つの変化に、この、選民、エリートというものを選ぶ基準というものがある、と、思い、ますタツ。
 簡単に言うと、近代以前では選民を選ぶ基準は、人知を越えた何かだったわけです。
 神であったり天であったり、或いは宿命運命と呼ばれるものであったり。
 だからその役を振られた人間には、まず責務があったわけです。
 何せ、神様に選ばれてしまったわけですから。
 ピーターの叔父ちゃん曰くの所の、「大いなる力には、大いなる責任が伴う」 ってぇヤツです。(『スパイダーマン』よりの引用であります)
 庶民は、日々の生活を第一として生きる。
 選民たるエリートは、それだけじゃあいけない。
 

 んで横軸。異端。
 まぁ異端って言い方だとすげーざっくばらんですが、こっちはなんつうんですかね。
 枠の外にいる、というか、行かざるを得ないというか、ま、そういう輩です。
 
 個人的な話、僕は絵描きを生業としています。
 嘘です。生業と出来るほどにはなってません。
 まぁ、絵描きという枠の底辺の底の下のさらに枠の外をうろついていたりする感じです。
 絵描きってのは基本的に異端です。
 なんで異端かというと、こいつらはとんでもねーオナニストだからです。
 日々の生活より、公に対する責務より、何よりも、「自分が気持ち良く満足する絵が描けるかどうか」って事を考えているよーな、ろくでなしだからです。
 というか。
 そういう衝動欲求、エゴイズム、個人主義的な生き方こそが、まぁ異端に軸足突っ込んでしまう理由ですわな。
 絵描き、作家、芸人、スポーツ選手、研究者 … なんてのは、本来的には異端の生き方ですわな。
 
 勿論両足をそこに突っ込めるほど破滅的に生きられる人間なンてな希です。
 そしてその上で所謂社会的成功とやらを治める人間も希です。
 岡本太郎とか、そういうごく一部の、何かの気まぐれでできあがってしまったへんてこなイキモノくらいです。
 或いは逆に、軸足を異端には置かず、庶民の軸を持ったまま商業活動をした人なんかは、外から見ると成功した異端に見えるのカモシレニャイ。
 ま、たいていの人間は、異端に片足突っ込みつつも庶民として、生活者としての日々を送っていたりするモンです。
 まぁ僕みたいに、どっちも中途半端で底辺をうろついているなんてのも居ますけどね!

 日々の生活を生き、日々の生活を充足させるのが、庶民の立ち位置であり、言い換えれば役割です。
 公を第一とし、理念や思想に則って、公の責務を全うさせようとするというのが選民の立ち位置であり、役割で。
 それらの枠からズレた場所でズレた事をして、異化された視点や観点を提示するのが異端の生き方であり役割。

 と。
 ざーっくりまとめるとそんな話なんですが。
 それもまた一つの幻想であり理想でもあったりするわけですわな。
 
 天の理を語り、儒を学んだところで、外戚宦官が政を操り、悪官汚吏がはびこると、まぁ黄巾賊も黄天まさに立つとくるわけです。軸足がしっかりとせんもんなわけです。
 ましてや、近代以降の選民というヤツは、責務を全うする契約をハナっから放棄しているわけですよ。神、或いは人知を越えた何かとの。
 今現在、高学歴、学業エリートと言われる人々の多くは、神によって否応なく選ばれた選民ではなく、ただシステムに乗っかって選別されただけに過ぎない。
 立場はエリートだけど、たいていの軸足は庶民のまま。つまり、日々の生活、その延長にある私的な金銭的、社会的成功、或いは名声やら賞賛やらの見返りの為にそのシステムにのっかっただけでしかなく、本来的、本質的にはエリートでは無いわけです。言ってしまえば。
 意識は庶民、けど立場だけエリート。
まぁ、自ら痛い思いをしつつちんこ斬って、後宮に入って権勢をふるおうと考えた宦官的スタンスです。猛烈宦官行進曲です。
 だから、庶民の立ち位置に居る方からすれば、本来あってしかるべきあり方に全く即していないことに不満も感じるし、合って欲しいと幻想も膨らませる。
 いやー、機会の平等ってムツカシイよなぁ。
 そりゃサムライ幻想が持て囃されるって。
 少なくとも、江戸時代の武家階級の人間は、生まれたときから責務に対する意識は教育されまくっとったんですから。
 教育の甲斐無かったのも良かれ悪しかれ沢山いたでしょうけども、少なくとも、「自分が金持ちになれるから」 だけのごく私的な動機でエリートシステムに乗っかろうってのとはやっぱ違いますわ。


 みたいな話かなー、とか、考えてみたのですが、なんか最初はもうちょっとは気の利いた事書けるかなと思っていたのに、なんか凄くつまんないところに着地してしまったので僕的にはかなりションボリです。
 なので、なんかやる気無くだらだら書いて終わり。

 軸足がキッチリしとらんのは、いかんね!
 だからあの、異端の最たるモノである芸能人やらマスコミ人が、変な権威付けしようと躍起になったり、無駄な豪邸おっ建てるなんていう庶民的成金根性丸出しな事やらかしたりするのはなんかみっともないっていう話!
 あと漫画家とかも! たっつぁん、たっつぁん! 東京大学物語!

 


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petrosmiki

俺はとりあえず「勉強ゲーム」が得意だったから
特に将来の目的もなくあの大学に入ったのだが
入ってみて初めて「権力志向」の強い人間って
のがどんな感じかわかった気がするし、
現実にそういう人間が進むコースってのがある
こともわかって、それはそれで面白かった。

たまに大学同期の結婚式とか行くと
政財官と法曹関係って全部つながってるなぁ
とかわかって面白い。名刺交換で
「外務省ですか?○○君と同期でしょ?」
「えっ?知り合い?」
「17組で一緒だったんですよ」
みたいなのばっか。
その世界には全く縁のない俺でさえ
財務・外務・警察・自治・通算・運輸と
知り合いに官庁は一通り揃ってるし
弁護士なんか履いて捨てるほどいる。

そんな奴らから裏事情なんか聞くと
また面白かったりする。
天皇陛下にお近づきになった時は
「目を合わせて喋ってはいけない」
のが決まりになってるとか
東大出身の警察官僚の恒例行事に
「後藤田参り」ってのがあるだとか
日銀の総裁が「結局、日本経済って
ヤクザのことがわかってないと何も
わからないんだよ」みたいなコトを
思いっ切り言ってたとか。

他にもインサイダーに話聞いてみると
「それで成立してるのかよ!」
みたいな官庁のデタラメぶりとかが
わかったりもする。

知らない人間から見りゃあ「エリート」
なんだけど、俺的な結論としては
「あちこちデタラメだらけだけど、
それでも日本は動いてる」って感じだな。

その辺りが国というシステム自体への
俺の不信感てゆーか期待感の無さに
にもつながってるのだが、これについては
どれだけ筆舌を尽くしても完全に伝える
のは不可能だと思う。
by petrosmiki (2005-08-30 02:54) 

へぼや

 異端にいささかの軸足を起きつつ、所謂学業エリートのルートに首を突っ込んでいるペトロ三木的視界というのは、結構それだけでネタ的には面白そうなものがゴロゴロありそうなのでなかなかステキに活用して戴きたいモノですチェキ。
 システムをどんなに整えたところで、運営するのは人間ですシナー。

 なんというか、手段、或いは責務としての権力、では無く、目的としての権力というヤツに対して、僕は個人的に全く興味が持てないのです。
 目的としての権力というのは、庶民を軸足とした人間の中の欲望、まぁ私欲我欲が極まりまくった一つのカタチ、というくらいにしか思えない。
 だから、権力志向の人間っちゅうのは、僕の中ではどーにも胡乱な姿をしていて、他人からの情報とリクツでしか解釈が出来ないのですよ。接点もなければ共感できるところもない。
 ま、最終理想型が仙人 (又は永遠の美少女) 、という僕は、それはそれで願望だけは老荘思想的な横軸に伸びまくっているという意味で、やはり軸足を異端に突っ込んでしまった出来損ないなのです。そりゃあ私欲の極みなんか分かりゃあしませんわ。
  
by へぼや (2005-09-03 05:53) 

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